1973年06月10日
鍋倉谷(火打山)
 
単独
 
高田 7:00 分岐点(1750m) 13:00
笹ヶ峰 8:30 火打山 15:30
杉野沢橋 9:00 高谷池ヒュッテ 16:00-16:30
ヒコサの滝   黒沢川 17:20
取付 9:30 笹ヶ峰 18:00
上部 10:00 高田 19:10
出合(1650m) 11:00    
 
19730610 鍋倉谷(火打山) ルート図
 
 笹ヶ峰までは比較的早く着いた。曇天にもかかわらず、山菜採りの人々が車でたくさん入っている。先日と同様、すぐに雲が切れ、青空が広がっていく。
 杉野沢橋までの道は、車では大したことはなかったが、歩いてみるとかなりある。
 橋を渡って焼の登山道を少し行って見たが、沢が違っているため引き返し、左岸を進むことにした。山菜採りの歩いたらしい足跡を頼りに行くと、すぐ鍋倉谷が分かれる。後は道なき道。
 沢沿いに進む。橋など一つもないので、対岸へ渡るのは全て渡渉。沢が急に狭くなり、急流になる。見ると左手に広い廊下がある。これを通り抜けると、はたまた困った。前にも進めず対岸へも渡れないのだ。沢は急流、しかも深い。左手の岸は60から70°位の壁。この壁、ボロボロの岩だが、ホールドもスタンスも十分ある。恐る恐るカニの横ばい。約10m。ほっと一息。
 ところが安心のならないことに、前方にはさらに岩壁が立ちはだかり、一条の流れが落ちているではないか。ともかく下まで行ってみよう。取り付き点まで来て2度びっくり。正面の一条の流れは付属。谷は左に折れ、ここに高さ約50mのヒコサの滝が隠れているではないか。あーどうしよう。登るとすれば、正面の滝だが、これを登ってしまうと決して引き返すことはできないのだ。「よし」と決意を固め、登りだす。
 大滝は水苔でツルツルだ。だがスタンスもホールドもしっかりしている。途中から左手のブッシュに抜け、草の根と灌木の枝を頼りに登った。大滝の落下する水が美しい。ムラサキヤシオの紫が色を添えている。登りきった所は、笹の生えた台地だ。
 沢は左手なのでそちらに行くと、所々木の切り跡が見える。いや所々ではなく、灌木が一つのルートに沿って来られているのだ。しかも新しい。切り口の高さが膝ぐらいなので、去年の秋だろう。それにしても入る人がまだいるのだ。それにしてもすごいブッシュだ。思い切って沢へ出た。
 まだ所々に雪が残っている。水量は多い。何回も渡渉を繰り返すうち、川原が広く開けたところに出た。この辺りウドがすごい。誰も取らないせいか、太く柔らかい。水芭蕉も生えている。昼食。
 1650mの黒沢岳からの沢との出合は、この少し上だった。左手の谷を詰める。沢が急に狭くなっているので、一瞬、間違えたのではないかと心配したがそうではないらしい。
 やがて沢は雪に覆われてしまい、水は見えなくなってしまった。前方には火打が、後方はるか高妻が見える。
 前方から一羽の鳥が飛び立つ。鷹か鷲か。見るとその下には一匹の蛇が悶えているではないか。しかも頭は既に見る影もない。雪の上をのた打ちまわっている。自然の無常を見たような気がした。
 谷の縁の雪下の斜面には、シラネアオイ、カタクリが咲き乱れている。
 谷は緩やかになり、広々としてきた。その谷は左手に緩やかにカーブしている。ふと右手に小さな沢が降りてきている。急だ。多分、ここが1750mの分岐点だろうと、右手に入る。沢はさらに二つに分かれる。今度は左手を詰める。これが間違いだったらしい。結局、本峰を直登することになった。ここから頂上までの長いこと。
 渡渉の際に入った水が、雪で冷えて冷たい。腹も減ったので、木に腰掛けて休憩。もう2時だ。
 斜面は急になり非常に疲れる。ふと下を見ると右下方向に、広い大地が広がっているではないか。多分、高谷から伸びている2000mの台地だろう。ところが、ところがである。そことこの斜面は、直接繋がっていて間に沢がないのである。奥高谷にせりり上げる鍋倉本谷がないのだ。これはどうしたことか。地図が古いためだろうか、それにしてもおかしい。
 あえぎあえぎようやく小火打と火打のコルにたどり着いた。すでに3時半。日は西に傾いてきた。火打は登らず、巻いて降りる。新しい足跡がいくつか残っている。今日登ったのだろう。
 高谷池ヒュッテで休み、残りの握り飯を食べる。ヒュッテは、新しく建て直され、3階建てになっている。「冬期間は、3階のみ使うように」との掲示があった。道も新しく付けられている。
 あとは通常の登山道を降りる。七曲りの上まで雪がついている。やはり多い。
※ 結局登ったのは、鍋倉谷ではなく、惣兵エ落谷でした。
 
ページトップへ 1973年の記録