1973年08月18日
戸隠山
 
単独
 
高田 7:00 一不動 13:15-13:35
戸隠奥社入口 9:20 戸隠牧場 14:20
奥社 9:45-9:50 戸隠奥社入口 15:00-15:30
五十間長屋 10:20-10:35 高田 17:30
戸隠山 11:25-12:10    
 
 本来ならばこの休みは裏銀を縦走することになっていた。それが14日に柳崎のおばあさんが亡くなったため、16日に葬式が行われることになり、急遽取りやめになった。残された休日の最後の一日。戸隠へブラッと出かけた。
 戸隠は、かつては年に1度は必ず登っていた山だ。それが東京へ転勤になったため、その連続記録が中断してしまった。今回を手始めに新たに挑戦しよう。
 中社、奥社は、土曜日にも関わらず大変な人出だ。奥社入口に車を停め、出発。
 山道の杉の大木は陽光を遮り、薄暗い。道は整備され、砂利が敷かれている。かつては静まり返り、美しかったこの参道も、あちこちにコーラやジュースの空き缶が山のように積み上げられ、景観を壊している。観光開発による人の波は、常にこうした自然破壊を残していく。人々は自然に親しむために来るのに、なぜ自然を破壊するような行為をするのか。
 奥社から始まる登山道は、きつい。葬式の間中、身体に溜まったアルコールのせいか、または睡眠不足のせいか。体の調子が良くない。特に腹の中が。
 五十間長屋で水を500ccほど飲み、しばらく休憩。体調を整える。しかしあまり良くない。
 百間長屋を通過する頃から風が強くなり、雲行きが怪しくなってきた。雨を心配しながらゆっくり行くと、後ろに数人のパーティーが来る。負けてはならじと奮起一番。
 丁度、鎖場。鎖を利用しながら、かつての岩登りの要領を思い出しつつ登る。始めちょっとうまくいかなかったが、すぐ感を取り戻し登る。蟻の塔、剣の刃は、風が強いので横を巻く。これを過ぎればもう頂上だ。雲行きがますます怪しくなり、昼食を摂る頃、ついに雨が降り出した。
 高田は既に何日も雨らしい雨が降っていない。このくらいの雨が降ればみんな喜ぶだろうに。
 高校生らしい数十人のパーティーが、尾根伝いにやってきて、八方睨の頂上はいっぱいになった。
 一不動へ行こうか、奥社へ戻ろうか思案したが、西の空が意外に明るく、雲が切れているので、一不動に行くことに決め出発。
 昼食を摂ったせいか、体の調子も良くなった。1時間ほどで一不動の小屋に着いた。後はもうすぐだ。雨がまた降り出した。
 牧場は家族連れで賑やかだ。晴れていれば昼寝でもしたいところだが、あいにく雨が時々降るのでやめた。奥社に向かう。
 川中島バス停でバスの運転手に「柏原へ抜けれるか」聞いたところ、「来年末まで通行止め」ということだ。この際、全面舗装するということだ。当分は長野周りになるだろう。
 
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