南葉山

1991年4月28日

杉本敏宏、定子、美穂(小4)、深雪(小1)

高田 8:30
キャンプ場 9:15
南葉山 12:00-12:55
キャンプ場 14:30-15:15
高田 16:05

 毎年連休前半に登っている南葉山(950m)に、今年は、家族連れで登ることにした。標高が低いとはいえ、越後のヤブ山は、この時期、まだ残雪が多く、多少の危険も伴うが、この時期でなければ味わえない山の良さを子供達に見せたかった。4合目から7合目にかけての「木落とし」の急斜面の下りをどうおろすかが問題と考え、準備をして出発した。

 「天気は晴」の予想通り、雲一つない快晴の恵まれた。7時半の予定が1時間遅れて出発する。南葉高原キャンプ場に着く。駐車場には2台の車。職員がキャンプ場の開設の準備をしていた。身支度を整えて歩き出す。今日は、子連れなので、キャンプ場から夏道に沿って登ることにする。

 キャンプ場を抜けるとすぐに2〜3mの小沢。残雪のために夏道は途切れている。いったん川床に下り、渡る。子供達に長靴を履かせてきたのは正解だった。ほぼ夏道に沿って南に向かってしばらく雪の上を歩く。雪に押しつぶされた木々が、道をふさいでいる。雪がなくなり、夏道がでるとすぐに3合目。尾根づたいに東から上がってくる旧道とここで合流する。

 日当たりの良い南面に緩やかな登りが続く。まだ芽ぶき前の小枝に、コツバメが1頭とまっていた。雪の消えたところからカタクリが咲き出している。子供達は、昨年「野尻湖友の会」でやはりこの南葉山にきたときのことを思い出しながら楽しそうにはなしている。道は、稜線の北に回り込み、緩い残雪の斜面があらわれる。さきに一人登っているようだ。新しい足跡が続くのでそれに従う。4合目の標識は、見えなかった。

 再び稜線にでると、夏道の急登になる。「木落とし」の坂が始まる。5合目の標識は雪の力で根元から折れていた。ヤマザクラが咲き、ユキツバキの紅い花が濃緑色の葉陰に見え隠れしている。ショウジョウバカマの花は、赤紫からピンク、それに白と多彩だ。スミレサイシンの紫も彩りを添える。

 左手に激しい水音が聞こえ始めると、6合目の手前の水場である。雪の消え方が悪く、近づけなかった。ちょっとした急斜面になっていてそこを上がると6合目だ。

 すぐに、雪の斜面になる。木々の倒伏が激しい。その合間をぬって、右に左に登る。倒れた木をまたいだり、下をくぐったり、子供達は「大冒険」をしている気分だ。少し傾斜が緩くなって、左の薮の切れたところをめがけて登ると雪の消えた夏道にでる。

 そこはもう7合目だ。右手の奥に「見晴らし台」がある。その「見晴らし台」の入口で一服。その間に、夫婦連れが追い越していく。

 7合目からは、傾斜はぐっと落ちる。広い頂上部の東南の端に上がったのだ。広い尾根になり、ブナがあらわれる。ここのブナは、まっすぐに伸びたものは少なく、雪で何度も押しつぶされたのだろう、グニャグニャにひん曲がっている。50cm程度の残雪か。注意してみると、夏道の痕がわかる。所々夏道があらわれる。上から下りてくる男性に会う。行く手の奥にめざす頂上が見える。美穂と2人で先にいくことにする。小さな鞍部から一登りすると頂上だ。

 12時丁度に着く。高さ2mほどの案内板が雪の下でまったく見えない。雪が消えるとブナやブッシュで周りの景色は何も見えなくなるが、今は、白い雪をいただいた妙高山、火打山などが南にそびえ、北側には、日本海が広がっている。そして、西には、ゴルフ場開発が問題になっている重倉山の広大な北斜面が広がっている。雪を溶かして湯を沸かす。2人の子供は、驚いて見入っている。先客夫婦が下り、広い頂上に我が家族4人だけとなる。すぐ近くで鴬がなく。

 昼食を楽しんだ後、下山。下りは快適だ。傾斜のきついところは、深雪の手を引く。心配した「木落とし」の坂も3ヶ所だけ美穂の手を引いただけで、一人で降りてきた。おかげで深雪のめんどうだけを見るだけですんだ。

 南葉高原は、車がいっぱいになっていた。アスレチックで遊びたいという。子供は元気だ。
 天気に恵まれ、初めての家族春山登山は、楽しい1日だった。

深雪
きょうはてんきがいいのでなんばやまにいきました。そして、のぼるときにおいていかれました。で、みほちゃんとおとうさんは、さきにいってしまいました。ちょうじょうへいったら、くろうまがみえませんでした。ごはんはおいしかったです。おとうさんがゆきですーぷをつくってくれました。おりてくるときはすきーみたいにおりていきました。おりるときおもしろくてこわくてどっちかわかりませんでした。


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