1991年08月24日
火打山
(ひうちやま)2462m
杉本敏宏、杉本定子、杉本美穂(小4)、杉本深雪(小1)、他四名
 
 「夏休みには、子供をつれて火打山に登ろう」ということにしている。昨年は、天山に行っていたために実行できなかったので、二年ぶりである。今回は、小生の家族四名と山田光夫氏の家族四名の計八名で登った。
 
高田 8:15 十二曲上 11:35-12:00
関山 8:45 富士見 12:50-13:20
笹ヶ峰 9:20- 9:40 高谷池ヒュッテ 14:10
黒沢川 10:40-11:05    
 
 高田から新しく開通した国道十八号バイパスを通り、妙高村の山田氏宅で合流して、妙高高原町の杉野沢から笹ヶ峰キャンプ場の駐車場に入る。
 準備をして、九時四〇分に駐車場を出発。すぐに車道から登山道に入る。しばらくこない間に、登山道には、木道が敷かれていた。ぬかるみを歩かなくて良くなったのは良いことか。しばらくして林道を横切り、遊歩道がわかれて小沢を三つほど渡る。ぶなの原生林を徐々に登り、左手から激しい水音が聞こえてくると、もう黒沢川である。
 黒沢川の橋もかけかえられていた。ここの水は、いつも冷たくてうまい。しばし憩いの時間をとる。
 橋を渡ると十二曲の登りがはじまる。ぶな林の中を大きくうねっていた道が、小刻みに曲がるようになり、ダケカンバが目だちはじめ、ちょうど十二回目を曲がると「十二曲」と書いた台地にでる。約三十分の登りだが、少々きつい登りだ。右手の黒沢川から吹き上げてくる風が心地よい。少し早いが昼食にする。
 十二時ちょうどに歩き出す。しばらく難所が続く。大きな岩の間を登るのは、子供達には、おもしろいようだ。樹林がオオシラビソに変わると傾斜は少し緩くなる。朝から雲が厚く、樹林の中では、薄暗い。小学一年の深雪と二年の山田知美が意気投合し、先頭にたって進んでいく。この先危険なところはないし、目のとどかなくなるほど先行しないように注意しながら行かせる。旧道が深くえぐれたために、新しく道がつけられ、木道が敷かれている。登山の安全性と自然破壊の接点である。急に周囲の様相が変わり、明るくなる。樹木が低くなって富士見平である。
 ここは、高谷池ヒュッテへいく道と黒沢ヒュッテへの道の分岐点になっている。低くなったオオシラビソの頂点に、青紫の実が、小鳥がとまっているような形でいくつもついている。黒沢ヒュッテの方の道を少し入ると、黒沢岳の稜線が黒沢湿原に連なり、それが妙高外輪山の三田原山に連なっているのが雲の合間に見えかくれしている。クロウスゴの実が熟れている。子供達は、舌を青黒く染めて食べていた。三十分ほど休憩して十三時二十分発。
 乾いた登山道を二人の子供を先頭にして行く。曇ってはいるが、気持ちのいいところだ。黒沢岳の西側にまわりトラバースにかかる。以前、水がたまり湿地になっていていやなところだったが、ここも、木道が敷かれ、今は、快適な登山道になった。ダケカンバの大木の根などで結構起伏がある。木々の間からヒュッテが見えるようになる。道の脇には、ベニバナイチゴの赤い実がおいしそうに熟れ、シロバナヘビイチゴの小さな実がある。これらのいちご摘みを楽しみながら、歩く。十四時十分、高谷池ヒュッテに到着する。
 ヒュッテの管理人の築田氏に再会。この時期になると登山者はめっきり減るという。おかげで一人畳一枚ほどのスペースを得ることができた。お茶がでてくるのがいい。
 外で、夕食の用意をはじめる。自炊用の道具は、プロパンガスをはじめ、なべ、かま、包丁にまな板など何でも揃っている。宿泊客は、これらを自由にかりることができる。こういうところがこのヒュッテの魅力か。
 夕食後、噴煙をあげる焼山を真っ赤に染めて、夕陽が沈んでいった。
 
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