大唐松山〜農鳥岳

 一昨年、天山にいった同年の3人でどこかへ行こうということになって、佐久の池田氏が企画して農鳥岳にむかうことにした。彼は、秋に2回ほどの偵察を行い、荷揚げなどもして準備をしていた。いいだしっぺの田上氏が、職を変わったことで参加できなくなり、佐久山の会の会員2名を含め4名で計画を実行することになった。

12/29 12/30 12/31
高田 15:43 夜叉神峠 8:00 林業小屋 7:00
小諸 17:26 林道分岐 9:27 滝ノ沢頭山 13:50
夜叉神峠 22:05 発電所 10:40
北沢出合 12:30
林業小屋 14:30
偵察もどり 16:55

1/1 1/2 1/3
滝ノ沢頭山 7:00 2346mピーク 5:50 手前ピーク 7:10
2346mピーク15:15 大唐松山 8:15- 8:45 滝ノ沢頭山下 8:45
偵察もどり 17:25 次のピーク 9:40-10:10 デポ地 9:45
最終ピーク 11:15-12:15 林業小屋 10:10-10:40
次のピーク 13:05-13:25 渡渉地点 11:15
大唐松山 13:50 昼食場所 11:50-12:50
2346mピーク14:55 発電所 13:30
鷲ノ住山 14:45
林道 14:52
夜叉神峠 16:05

12/29

 小諸駅で池田、白鳥の両氏が待っていてくれた。白鳥氏の車に同乗し、古川氏のアパートへ。そして佐久山の会の事務所で装備類を積み込む。141号線をスキーヤーの車とすれ違いながら、南下し、韮崎へ。そして夜叉神峠に向かう。駐車場には、すでに10台以上の車が止まっていた。あいている所を探し、車をいれる。20cm近くの積雪がある。テントを張り、今後の健闘を誓って乾杯する。

12/30

 就寝後も、何台かの車がやってきたようだ。うるさい女性の声に目を覚まさせられる。
 起床後、持参したにぎり飯で朝食を取り、荷物をまとめて、出発。車道が続いている。ゲートの脇から入る。すぐにトンネル。入口は、蓋がしてある。小さな木の扉を開け、這うようにして中に入る。中は、意外と暖かく、「この中にいれば快適だったな」などと話す。長いトンネルを抜け、林道をひたすら歩く。はるか下の方に野呂川が見える。道路は、30cm程の雪に覆われ、2本の車のワダチがずっと続いている。1時間半程で左手に鷲の住み山が現れ、林道から分かれ、その頂上から一気に発電所まで下る。途中若い男女に出会う。弘法尾根をめざしたが天候が悪く、時間切れで帰るという。発電所の手前は、釣り橋になっている。この橋を1人づつ渡る。

 本来は、右手から上の車道に出て左折するのだが、発電所の中を無断で通してもらうことにする。雪のついた車が一台おいてあった。出口の凍った道路ですってんころりん。
 荒川に沿って進む。しばらくは、車道が曲がりくねっているが、やがて終わる。その終了地点に幕営跡がある。先ほどの2人組か。
 最近は、どの川にも堰堤が造られていて自然河川というものが少なくなってしまった。この川もその例にもれず、しばらくの間あちこち手がつけられている。堰堤を越すのには、梯子を上ったりで苦労させられる。右岸を進む。途中、一部消えたが、北沢出合までは、踏跡がつけられている。沢筋は、陰険でいたるところ崩落している。そんな中にも夏道があるのだろう橋や手すりがつけられている。これらは、奥の伐採と造林のためらしい。

 北沢出合から、弘法尾根へのルートが分かれる。もう、踏跡も何もない。南沢の右岸をそのまま進む。膝くらいの積雪か。
 川幅が狭まって、右岸を進めなくなり、対岸へ渡る。水量が意外に多く手こずる。倒木の上を渡り、岩壁の下をへつっていく。足元の雪が崩れる。緊張する一瞬だ。
 左岸は、比較的広く、やはり、道があるようだ。造林地の中をカモシカが一頭走り逃げていった。久しぶりの山行のため、もうこの辺りでは、足が動かない。やっとの思いで林業小屋に着く。この小屋は、山梨県が森林を伐採するときの作業員が宿泊するためのものらしい。中に入る。一晩厄介になることにする。

 池田氏と白鳥氏が偵察を兼ねてラッセルしに出ていく。一緒に沢まで水を汲みにいく。右手から堺沢が合流してくる。彼らは、それを渡って南沢を登って行った。着くまでにポリタンの蓋が凍り着いてしまい、開かなくなってしまった。
 2人が帰ってくるのを待って夕食。そして、就寝。暑い夜だった。

12/31

 小屋で暖かい夜を過ごし、快適に起床。朝食後、出発。
 昨日2人がつけた踏跡に沿って、すぐに沢を渡り、左岸に沿って進む。3〜400m進んで、右岸に渡り尾根に取り付く。ブッシュの急登である。ぶながあらわれる。膝くらいの雪にトップは、ザックをおろしてラッセルし、次と交代後、取りに戻る。ずっとこの繰り返しである。
 樹林帯の雪の多い急登は、たいへん疲れる。時々、少し傾斜の緩いところがあるが、そんな時はほっとする。あまりの雪の多さにワカンをつける。それで少しは歩き易くなった。もっと早くつければ良かった。
 やがて、12月の初めに池田氏が食料等をデポしておいた所につく。それらを持って荷がまた重くなる。

 喘ぎ喘ぎ登り、ようやくのことで森林を伐採したところに出る。滝ノ沢頭山だ。少し下の樹林帯の中の広場に幕営することにする。荷物を置いて伐採地の途中まで上がる。見晴らしが良く、北岳、間ノ岳、農鳥岳が一望できる。さらに左手には、めざす大唐松山が黒々としてかまえている。それにしても良くもまあ伐採したものだ。見渡す限り、木は切られ、その後にカラマツが植林されている。切り株からみると100年以上の大物だったに違いない。伐採後には、植林のカラマツとともにダケカンバがいきおいよく伸びてきている。日当たりがいいため、雪の消えたところもある。そんな所を歩いたものだから、ワカンが壊れてしまった。補修に手間取った。
 設営後、枯れ木を集めて、焚火をする。火を囲んでの酒は、うまかった。

1/1

 元旦もすばらしい快晴であけた。

 滝ノ沢頭山は、頂上まで行かずに、トラバースぎみに行くことにする。今日は、初めからワカンをつけて歩く。トラバースの初めは、ブッシュのない広い斜面だったが、やがてコメツガの潅木帯にはばまれ、左折すると、ダケカンバとの混林が広がってくる。カモシカが何頭も動いたのだろう、はっきりした踏跡が残っている。その木々の間をぬって疎林を進むが、最後にどうしても潅木帯を突破しなくてはならなくなる。思い切って上の方まで行き、下り気味に潅木帯に突入する。ピッケルで枯れ枝を払いながら進むと、ポッと空間が開けた。雪がなければ湿地なのだろうか。入口の木に赤布が付けられていた。そういえば赤布は2種類あり、一つは「品」、もう一つは、「神田山の会」だ。神田山の会の記録は、昔、「山と仲間」に載っていたという。「このルートを通った人の数は、エベレストの登頂者数よりも少ないだろう」などと話す。
 再び、急登が始まる。大きな木の間をぬってジグザグに少しずつ高度をあげていく。稜線にはでないでそのすぐ下をトラバース気味に上っていく。コメツガは、雪がついてクリスマスツリーのように見えるが、近づくと雪で押しつぶされた枝の下は、空洞になっており、そこに足をとられ「クルシマセツリー」に変わる。ひどいところは、腰まで埋まってしまう。ワカンが引っかかり、もがいて体力の消耗が激しい。

 午後になると、曇り空になり、風もでてきた。けものが水を飲んでいたという池塘のような所を2カ所通過し、薮をこいで左折し、稜線めがけて直登する。倒木が行く手を阻む。これを突破すると、風で飛ばされるのだろう、積雪はぐっと少なくなり、小ピークに到達する。左手の稜線下に広場を見つけ、今日の幕営地とする。
 白鳥、杉本が設営する間、池田、古川は、偵察とラッセルに出かける。
 沖縄の南に低気圧があり、東進している。この影響があらわれるかどうか。大陸からは、高気圧が張り出してきているようだ。
 17時に無線が入る。30分ほどで戻るという。
 風がなくなり、今日もまた暖かい夜になった。

1/2

 農鳥岳の頂上をめざして、早めに出発する。まだ、暗いため、ヘッドランプを点灯する。昨日のラッセルで楽に歩ける。尾根は、だんだんやせて、かなり切れたところがでてくる。ラッセル跡が終わる頃、東の空が赤くなり始める。富士山の右上に細い月がかかり、左手から太陽が上ってくるようだ。ここから大唐松山まで30分位だろうとの予想である。
 突然急登が始まる。やせ尾根なので、直登するしかない。雪はさらさらなので、ワカンの爪がよくきかない。樹木の間を登るときは、安心だが、行く手をはばまれ、トラバースするときは、緊張する。30分ほどで傾斜が緩くなる。大唐松山の頂上かと思ったが、そうではなかった。当初の予想が大幅に狂う。
 再び急登になり、先ほどと同じような苦労をしながら、登る。コメツガの幼樹は、ラッセルを手こずらせる。木の枝に積もった雪が落ちて、背中に入ったりする。傾斜の緩くなるところが、計3ヶ所あり、予定より大幅に遅れて大唐松山に着いた。地図上では、コルから頂上までは、わずかな距離である。標高差も250m程である。それに2時間半もかかったのだ。

 この頂上には、真新しい標識が残されていた。そこには、「1991.11.3 大唐松山2561m 安倍っこHC」と書かれていた。最高の天気に記念撮影をする。富士も白峰三山もすばらしい。
 下りになる。右(北)から風が吹くのだろう、左手がわずかに雪庇状になっている。時々、稜線上を通過できず、左右に巻くが、左を巻くときは、急傾斜のトラバースになる。
 次のピークは、2540mのピークであろう。距離的にはわずかだが、時間は、ずいぶんかかった。ここの頂上は、すっかり雪が消えて、岩肌がでている。久しぶりの土の感触である。三山は、ますます大きく見える。
 このピークから更に下り、2500mのコルから2580mのピークをめざす。このむこうから農鳥岳に突き上げる支稜に取り付けるだろうとの見通しだ。着いてみると、予想は、まったく裏切られた。この先で、もう一度下り、その先にS字状に尾根が延びているのだ。そしてその先で再度コルに下ってから、頂上に続く支稜に取り付くことになる。このまま行って、最低3時間はかかるだろう。そういうことで今回は、ここで引き返すことにした。

 それにしても上天気で、三山はますます大きく迫ってくる。富士もすばらしい姿を浮かべている。5月連休頃の陽気だ。「ハン・テングリよりも難しい」などと話ながら、ゆっくりと昼食をとる。
 もどりは、踏跡がしっかりして楽なはずだが、この陽気で雪が緩み、時々落とし穴に落ちたように埋まる。2540mの岩の出ていたピークで休む。午後になって天気は、少し下り坂か。雲が出てくる。帰りの登りは、一番こたえる。大唐松山への登りは、つらかった。
 そして今度は、急な下り。「フィックスを」という白鳥氏をラストに、古川氏がザイルをザックにしまいこんだまま、快調に飛ばす。「よく、登ったナ」と思うような急な下りだ。陽がかげって、少し寒くなってきた。緩い登りにかかって、幕営地に着いた。
 風も出てきて、今日は、寒くなりそうだ。テントの中で水を作っていた白鳥氏が、「ワッ」と大きな声をあげる。コッフェルをひっくり返してしまった。濡れたものがなかったのは、不幸中の幸いか。休養なしの連日の行動で、疲労がたまったためか、寝つきは早かった。

1/3

 撤収して下山。風が強く冷え込んでいるため、ヤッケを着る。先日苦労して登ってきたブッシュの道も、下りは早い。この間雪がほとんど降らなかったために、来た時の踏跡がそのまま残っている。ブッシュ帯に入ると風もおさまった。滝ノ沢頭山のブッシュの中は、カモシカの足跡がいっぱいだ。姿は見えない。
 二日目の幕営地を過ぎ、急傾斜の下りになる。こんなに急だったんだろうかと思うほどだ。デポ地で、残り物を回収する。堺沢に下る斜面は、シリセードで一気に下る。おかげで雪まみれになる。
 一日目に宿泊した林業小屋で一息いれる。中を片づけ、ごみを持ち帰る。

 ここからは、平らな雪の積もった河原歩きだ。例の渡渉地点にさしかかる。10cm程の太さの流木を引き寄せ、これを渡る。雪ののった石が滑りそうだ。渡りきって、また河原歩きになる。南沢の合流点からは、右岸につけられた道を進む。小沢が右手から下りてくるところで、少し早いが昼食にする。あまった食料を減らそうということで、ラーメンを作る。この付近にまでカモシカの足跡がある。
 片づけて出発。堰堤があらわれ、慎重に下る。やがて車道に出る。岩かげにデポあり。猿の足跡も見える。左折、右折して発電所前に着く。発電所構内を通してもらって、吊り橋のところに出る。橋のたもとに人が休んでいた。何日かで出会った最初の人だ。

 本日最大の難関、鷲ノ住山越えを前に気をいれる。橋を渡り終えると、後ろから勢いよく追いついてくる人がいた。2人目の人だ。道をゆずる。下りも長かったが、登りもきつい。帰りの、それも最後に出てくる登りだから、精神的に疲れる。途中でひと休みし、道をゆずった人を追い越し、ようやく鷲ノ住山に上がった。少し、下り気味に林道に出る。林道の広くなったところで休憩。
 林道の雪は、春のような暖かさですっかり融けている。上からのツララに気を使いながら歩く。長いトンネルを抜け、夜叉神の駐車場に着く。
 温泉で汗を流す。今夜は、池田氏のところに厄介になる。


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