火打山
1992年5月3日
杉本敏宏 大島美昭
高田 | 7:10 |
笹ヶ峰 | 8:20- 8:30 |
黒沢川 | 9:15- 9:30 |
十二曲上 | |
富士見平 | |
高谷池ヒュッテ | 11:30-12:35 |
十二曲上 | |
黒沢川 | |
笹ヶ峰 | 15: |
高田 | 16:20 |
神奈川の中山氏が同行しないかということで計画した連休の山行だったが、彼らの山行が雨飾に変更になったため、2人で日帰山行に切り替えた。
天気は、上々だったが、午後になって風が強まった。
十二曲を上っている途中で鈴木貫太氏のグループに追いついた。黒沢ヒュッテに泊まり、妙高を往復するという。
二つ沢を通り過ぎたところで、大田HCの人達に追いつく。この山もそういう意味では、よく知られる存在になったのだろう。
火打山の登山者は、例年よりも多く、高谷池ヒュッテは満杯ということだった。スキーヤーが多くなったことと、やはり中高年登山者が増えているのが特徴か。
体調が良くないのと、風が強まったのとで頂上へは行かず、ヒュッテから引き返した。
十二曲上で幼稚園児と思われる子供を連れた夫婦に逢う。こういうハイカーが増えている。黒沢の手前では、3人の女子小学生を連れた夫婦に出会う。こちらは、全員スキーでの滑降。どこから降りてきたのだろうか。
笹ヶ峰の駐車場は、車があふれ、道路もびっしりになっていた。
帰路、まだ上っていく車がたくさんいたが、これから登るのだろうか。
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