火打山

1992.8.29〜30

杉本敏宏、定子、美穂、深雪、渡辺芳子、宮川

8/29 8/30
高田 8:45 高谷池ヒュッテ 6:30
笹ヶ峰 10:05-10:35 雷鳥平 7:15- 7:30
黒沢川 11:55-12:35 火打山 8:15- 9:00
十二曲上 13:10-13:25 高谷池ヒュッテ 10:30-12:30
富士見平 14:35-14:50 富士見平 13:10-13:25
高谷池ヒュッテ 15:15-15:30 十二曲上 14:05-14:30
  黒沢川 14:55-15:15
  笹ヶ峰 16:00-16:30
  高田 17:50

登山計画書はこちら

8/29

 例年夏休みの最後に登っている火打山へ、今年は、定子の姉の渡辺芳子さんとその向かいの宮川さんが加わっての登山となった。宮川さんが、勤務の都合で午後出発するが、我が家族は、例年通り朝から行くことにする。
 黒沢川まで行くという母も乗せ、出発。杉野沢から笹ヶ峰に入る。今年は、林道には入らず、駐車場に車を止める。広がった駐車場の木陰に近いところに止める。身支度を整えて、車道を登山口まで戻る。もうススキが穂を出し、山は一歩早く秋に入っている。ブナ、ミズナラなどの樹林帯に入ると、やはり涼しい。超スローペースで進む。

 林道には、数台の車が有り、入ってきても駐車する余地はなかった。的確な判断だったといえる。この林道を過ぎると、林は、ブナ一色に変わる。小沢を3つわたる。ブナが太く大きくなって、やがて黒沢川に出る。昼食の休憩。

 十二曲は本当に十二曲っているのかというので、深雪と数えて登ることにする。最初の曲がりまでは、長いトラバースが続く。奇数回の曲がりの後は、右手が谷側、偶数回の曲がりの後は、左手が谷側になる。5〜6間など短いところもある。アサギマダラがオオカニコウモリの蜜を吸いにきている。この蝶の舞う姿は、優雅でいい。
 最後の曲がりで、「十二曲」の標識のある台地に出る。はるか下から黒沢川の水音が聞こえてくる。ここからは、急な稜線の登りだ。岩が出ていたりで、子ども達にとっては、冒険なのだろう。急登が終わると、オオシラビソの樹林に変わり、少し涼しくなる。進むにつれ、傾斜が緩くなり、二つ沢の手前では、平になってしまう。古い登山道が雨で削られ、岩が露出したため、新道が造られ、木道が敷かれている。樹林の背が低くなるともう富士見だ。

 富士見平での子ども達の楽しみは、クロウスゴの黒い実を食べること。さっそく探しに行く。そして口の中を真っ赤にして帰ってくる。もうここからは、黒沢岳のトラバースだから大きな登りはない。以前、ぬかるみで大変だったところも、木道が敷かれて歩き易くなった。木道が終わると、起伏のあるダケカンバの林の道になる。ガスっていて焼山は見えない。この道には、子ども達のもう一つの楽しみ、シロバナヘビイチゴの実が実っている。葉陰に隠れているイチゴを見つけては口に運ぶ。そんな調子だから、なかなか進まない。山を楽しみに来たのだからいいとしよう。高谷池ヒュッテが谷の向こうに見える。

 ヒュッテの管理人の築田氏に挨拶。さっそくお茶が運ばれ、宿泊名簿に記帳する。定子に付き添っていた美穂が、15分遅れで到着する。「お茶よりも」と缶ビール。
 外で、夕食の準備を始める。メニュはカレー。美穂に米をとぎに行かせる。このヒュッテは、炊事道具がほとんど揃っていて、あるものは何でも貸してくれる。食料だけもって行けばいいので楽だ。カレーにいれる野菜を切って鍋にいれる。時間があるのでじっくりと煮ることにする。
 ご飯の方は、大失敗。もうそろそろかという頃、焦げる臭いがするので、「どこの飯だろう」とひと事のように思って、炊事小屋へ行くと、焦げていたのは、わが家のご飯で、中にいた人が火を止めてくれていた。

 5時半頃到着かと予定していた渡辺、宮川組は、6時を過ぎてもこない。迎えに行くことにする。雨がポツポツあたりだし、夕暮れの空をいっそう暗くしている。そんな中をつっかけで出かける。10番の標識を過ぎても、まで見えない。富士見までの2/3位まで行ったところでやっと逢えた。雨が強くなる。渡辺さんの荷物を受け取って、急いで戻る。それでもだいぶ濡れてしまった。
 2人がついたのは、結局、7時少し前。それから夕食。この頃、外は、雷が光っていた。その稲光は、花火よりもきれいだった。