HATーJ
エベレスト街道清掃
トレッキングに参加して

日本勤労者山岳連盟
副会長 杉本敏宏

 一昨年、田部井淳子さんらの呼びかけで、ヒマラヤの環境保護を考え、実践する団体としてHATーJ(ヒマラヤアドベンチャートラストオブジャパン)が結成されました。その主要な取り組みの一つとしてとして今回の清掃トレッキングが企画されました。

 私は、このトレッキングに参加することができましたので、その概要を報告します。

 このトレッキングの主要な目的は、ヒマラヤ、とりわけエベレスト街道の環境保護を世界とネパール国民にアピールすることです。そのために、首都カトマンズ、シェルパの街ナムチェバザール、そしてエベレスト街道の玄関口ルクラで現地の人々との対話集会を持つこと、トレッキング中に街道のゴミを拾って清掃の実践をすること、自分達の持ち込んだものは、全部持ち帰ることを中心に据えていました。

 参加者は多彩で、73才と65才の老夫婦を筆頭に、40代後半の夫婦、30代前半の夫婦と3組の夫婦が参加し、最年少は、27才の女性。男性は、添乗員まで含めて10人で圧倒的に女性上位。それも40代が大半で、HATーJ代表の田部井淳子さんを含めて28名という大所帯のトレッキング隊でした。これに、3人のサーダーと8人のシェルパ、コック2人に数人のキッチンボーイがつくという破格のトレッキング隊でもありました。

 トレッキングは、11月11日に成田を出発し、バンコク経由で12日夜、ネパールの首都カトマンズへ。時差3時間15分で時差ボケはない。13日は、午前中に市内観光し、NMA(ネパール登山協会)主催の昼食会。夜は「HATーJカトマンズ集会」と晩餐会。14日、空路ルクラ(2827m)入りし、ここからドードコシ川の上流に向かって少し下り、パクディン(2652m)で泊。15日、ジョサレ(2805m)のチェックポストを通過し、ドードコシとボーテコシの合流点から一気に600mあがってナムチェバザール(3446m)へ。16日は、高度順応のためにナムチェに滞在し、サガルマータの見える丘から、サガルマータ博物館を見学し、3800mのシャンボチェの飛行場にあがり、午後は「HATーJナムチェ集会」。17日は、ラマ教のゴンパのあるタンボチェ(3867m)に上がり、翌日、パンボチェ(3901m)を往復して、ラウシローサ(3400m)までもどり。19日は、ナムチェを経由してモンズー(2835m)まで下り、20日は、ルクラへ。夕方「HATーJルクラ集会」、そして夜は、シェルパ達とのお別れ会。21日、順調にフライトし、カトマンズへ。この間ずっと晴天。22日23日と市内観光して(一部は、ポカラまで足をのばしての観光)、23日夜は、ヒマラヤの環境問題を考える青年達の組織エベレスト・コーポの招待夕食会。24日バンコクへ。そして11月25日午後、成田へ着くまでの15日間でした。

 今回のトレッキングの課題の一つ、「自分達の持ち込んだものは、全部持ち帰ること」というのは、まず、「ゴミを出さない。捨てない。」ということです。これは、一人一人が気をつけると同時に、炊事で生じるゴミ、トイレの紙など燃えるものは燃し、空きカン、空きビンは全部カトマンズまで持ち帰りました。

 「トレッキング中に街道のゴミを拾って清掃の実践をすること」は、日本で労山などが各地で行っている清掃登山のヒマラヤ版です。一人一人がゴミ袋を持ち、道路わきのゴミを拾って行きます。燃えるゴミは、その日の夕方、宿泊地で焼却し、灰を埋めるということにし、焼却できないカンとビンはポーターに担いでおろしてもらいました。集会で聞いた話しですが、割れたビンでケガをする人が結構いるそうです。拾い集めたゴミの量は、ルクラでの集計で250Kgにもなりました。このゴミを拾うという行為は、私たちトレッカーだけでなくサーダーを通じてシェルパにも徹底してもらいました。彼らも意義を理解したのか、積極的にゴミを拾い集めていました。この実践は、ネパールのラジオで放送されたらしく、行き交う人の何人かから声をかけられました。ナムチェからの下りでは、急斜面のゴミを拾っている人に出会いましたし、ルクラの飛行場周辺を清掃しているときには、周辺の子供達が一緒になって清掃してくれました。

 3カ所の集会も、たいへん意義のあるものでした。

 カトマンズでの集会には、ネパール政府観光省の次官をはじめ、観光業者、自然保護団体の代表などが出席し、マスコミも多いに注目していました。この集会の討論を通じて、山岳地帯のゴミに対するネパール政府の考え方や、カトマンズ市内のゴミ処理など、今まで知られていなかったことが明らかになりました。観光業者も業界団体が中心になって、マキ使用の禁止、石油の使用を推進しているといっていました。

 ナムチェの集会は、ちょうど、ナムチェのゴンパが増築され、そのお披露目の式があるというので、それに併せて行うことになり、タンボチェの僧院のリンポチェ(高僧)、ナムチェの村長、サガルマータ国立公園のレンジャーが出席し、住民多数が見守る中で開かれました。リンポチェは、HATーJがここにやってきた理由を聞き、「すばらしいことだ」と賞賛し、「最近、くる人が多くなってゴミもふえた」こと、「組織をつくって対処している」ことなどを話していました。村長は、行政として、「毎日、村内の清掃をしている」こと、「エベレストBCから、2回ゴミをおろしてきた」ことなどを話し、レンジャーは、「自分のゴミを持ち帰るということは、いいことで勉強になった。シェルパやポーターにもこのシステムを教えていきたい。」とその抱負を語っていました。また、トレッカーが持ち込むゴミでいちばん困るものは、電池とビンとのことで、電池は、ネパール国内には処理施設がなく、インドまで送らなければならないこと、ガラスの破片で人間だけでなく、家畜もケガをすること、ケガをすると医者がいないので大変だということがいわれていました。

 ルクラでは、集会に先立って飛行場(小学校のグランドほど)周辺の清掃を行いましたが、その量の膨大さにあきれてしまいました。集会には、村長をはじめ、ヒマラヤクラブの会員、田部井さんとともにサガルマータの頂上に立ったシェルパのアンツェリン氏、それに学校の先生方など18人が参加してくれました。ここの人たちのゴミに対する悩みはたいへん大きいものがありました。「ルクラは、エベレスト街道の入り口で人口も多いが、清掃などに使える資金が何もない。金を出し合ってヒマラヤクラブをつくったが、限界がある。」というもので、一見、消極的なように見えました。しかし、「日本から焼却炉を持ってきて設置できないか」などと突っ込んで話していくと、「土地を確保したい」「コンテナを置いてそこにゴミを捨てさせよう」などと話しが進みました。

 いずれにしても、ヒマラヤのそれももっともトレッカーの多いエベレスト街道をゴミ袋を持ってゴミを拾いながらトレッキングするなどということは、前代未聞のことで、行き交う住民やトレッカーに大きな影響を与えたことは確かなようです。これからのヒマラヤ登山やトレッキングのあり方として、「持ち込んだものは全部持ち帰る」ことを、自ら実践すると同時に、同行するシェルパやポーターにも協力を訴えていくことが必要だろうと思います。そして、このことは、日本の山においても共通の姿勢だろうと思いました。実践的にアタックすることによって多くのことを学んだトレッキングでした。


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