HATーJ エベレスト街道
清掃トレッキングに参加して

日本勤労者山岳連盟 副会長 杉本敏宏

 ちょうど10年前の1982年10月、ネパールの首都カトマンズでUIAA(国際山岳連盟)の総会と50周年記念集会が開かれました。この集会に、日本勤労者山岳連盟は、「ヒマラヤの環境保護」について訴えるために、代表団を派遣しましたが、その一員として、私もネパールを訪れました。当時はまだ、今ほど地球環境についての意識は高くはなく、訴えは、現実のものにはなりませんでした。

 一昨年、田部井淳子さんらの呼びかけで、HATーJが結成され、今回の清掃トレッキングが企画されました。私は、この企画を聞いた時、すぐに参加しようと思いました。10年前にカトマンズで訴えたことを実践できる場が生まれたのですから。

 このトレッキングは、ヒマラヤの環境保護を世界とネパール国民にアピールすることを目的とし、15日間の日程で行われました。主な日程は、11月11日に成田を出発。12日カトマンズ着。14日ルクラ。15日ナムチェバザール。17日タンボチェ。18日にパンボチェを往復。19日にナムチェを経由し、20日ルクラ。21日カトマンズ。そして11月25日午後、成田帰着です。

 参加者は、HATーJ代表の田部井さんを含めて28名で、男10人、女18名、27才から73才まで、3組の夫婦、英国人が1人、平均年齢40代半ばという多彩な顔ぶれです。

 トレッキングでは、「自分達の持ち込んだものは、全部持ち帰る」ために、「ゴミを出さない。捨てない」ということを一人一人が気をつけると同時に、炊事で生じるゴミ、トイレの紙など燃えるものは燃し、空きカン、空きビンは全部カトマンズまで持ち帰りました。

 「トレッキング中に街道のゴミを拾って清掃の実践をすること」は、日本で労山などが各地で行っている清掃登山のヒマラヤ版です。参加者だけでなくシェルパたちもゴミ袋を持ち、道路のゴミを拾いました。燃えるゴミは、その日の夕方、宿泊地でゴミファイヤー。焼却できないカンとビンは、ポーターが担いでおろしました。拾い集めたゴミの量は、全部で250Kgでした。このことは、ネパールのラジオで放送され、行き交う人から声をかけられました。ナムチェからの下りでは、急斜面のゴミを拾っている人に出会いましたし、ルクラの飛行場周辺を清掃しているときには、周辺の子供達が一緒になって清掃してくれました。

 カトマンズでの集会には、ネパール政府観光省の次官、観光業者、自然保護団体の代表などが出席し、マスコミも多数取材にきました。観光業者は、マキは使わず、石油を使わせているといっていました。

 ナムチェの集会は、タンボチェの僧院のリンポチェ(高僧)、ナムチェの村長、サガルマータ国立公園のレンジャーが出席ました。リンポチェは、この清掃トレッキングを、「すばらしいことだ」と賞賛し、「くる人が多くなってゴミもふえた」といっていました。村長は、「エベレストBCから、2回ゴミをおろしてきた」ことなどを話し、レンジャーは、「ゴミを持ち帰ることは、いいことだ。シェルパやポーターにも教えたい」と抱負を語っていました。また、トレッカーが持ち込むゴミでいちばん困るものは、電池(ネパール国内には処理施設がない)とビン(ガラスの破片でケガをする。医者がいない)だそうです。

 ルクラの集会には、村長、ヒマラヤクラブの会員、学校の先生方などが参加しました。彼らは、「ルクラは、エベレスト街道の入口だが、清掃に使える資金がない。」といいます。しかし、「日本から焼却炉を持ってきて設置できないか」などの提案に、「土地を確保したい」「コンテナにゴミを捨てさせよう」などと話しが進みました。

 いずれにしても、もっともトレッカーの多いエベレスト街道をゴミ袋を持ってゴミを拾いながらトレッキングしたことは、行き交う住民やトレッカーに大きな影響を与えたことは確かなようです。これからのヒマラヤ登山やトレッキングのあり方として、「持ち込んだものは全部持ち帰る」ことを実践することが必要だろうと思います。そして、このことは、日本の山においても同様だろうと思いました。


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