遊歩会で燕岳へ。

1997年7月31日〜8月1日


7月31日 8月1日
高田 7:00 燕山荘 5:55
中房温泉 10:20-40 燕岳 6:20-40
第一ベンチ 11:25-55 燕山荘 7:12-45
第二ベンチ 12:25-30 合戦の頭 8:23-30
第三ベンチ 13:05-15 合戦小屋 8:42-9:00
富士見ベンチ 14:05-20 第二ベンチ 10:50-11:00
合戦小屋 15:15-30 第一ベンチ 11:25-35
合戦の頭 15:55-16:00 中房温泉 12:15-13:30
燕山荘 17:00 宮城 14:10-20
戻り 17:25 高田 18:00

7月31日

 久々の登山である。心配された天気もまあまあ。 貸切バスに49人。老若男女の若がない(失礼)団体だ。新装の妙高大橋を渡り、長野県へ。中野インターから高速にのり、豊科でおりる。そして穂高町へ。狭い道を大型バスで抜け、西に向かって、少しづつ高度を上げていく。 宮城(みやしろ)。学生の時、冬の槍ヶ岳をめざして入山し、豪雪に遭遇して、この部落まで戻ってきたことを、ついこの間のことのように思い出す。ここからはこのバスでは大きくて、カーブを曲がれず、入れない。路線バスをチャーターしてあり、乗り換える。右に左に、バスの屋根をこするのではないかと思うようなハングの下などを抜けて、中房温泉燕岳の写真に向かう。町営の有明荘が真新しく建て替えられていた。 中房温泉での入浴は、明日まで取っておいて、まず出発。鹿島槍の赤岩尾根、烏帽子岳のブナタテ尾根とともに、この合戦尾根は「アルプスの三大急登」といわれている。樹林に入るとすぐにつづら折りの登りだ。いつまで経っても、足下の樹間から中房温泉の屋根が見える。 第一ベンチ(約1600m)。小さなコ ブの先に広場が広がっている。その名の通りに丸太で作られたベンチがある。20m程下りたところに、伏流水が湧き出している。うまい水だ。水筒に詰める。女性達は、昼食をとりながらも「ワイワイ、ガヤガヤ」と今のところ元気がいい。 第一ベンチを出ると、また登りだ。オオシラビソの間にダケカンバが枝を広げている。樹下の笹の根元に、幽霊のようなギンリョウソウが透き通って白く佇んでいる。太陽は雲に隠れているが、まったく風がない。あの台風くずれが、こんなところに影響している。道の脇の斜面にツルリンドウが小さな紫の花をつけている。合戦小屋へ荷揚げするケーブルの下をくぐれば、今度は第二ベンチ(1842m)だ。 49人の大部隊には、とても腰掛けられるほどのベンチではない。昔ここに簡易トイレが置いてあって汚かったが、今は撤去された。 まだまだ続く急登。高度約200m毎にベンチがあって、その間を標準では30分で登っていくことになるのだが、上に行くに従って、だんだんスローペースになっていく。一応班分けされているのだが、それも徐々に崩れていく。山全体が花崗岩で、露出したところは風化してぼろぼろになっている。この登りだが、日が照っ ていないので、暑さ負けする人もないだろう。 第三ベンチ、富士見ベンチと200mづつ高度を上げ、合戦小屋。リフトで上げられたスイカが売られている。みんな「うまい、うまい。」といって食べている。 合戦の頭までもうひと登り。俄然高山植物がふえる。ウサギギクが陽のあたる下草の中に黄色く映え、ゴゼンタチバナも陽を浴びて白がきらめく。合戦の頭付近が森林限界。樹高が低くなり、樹種もハイマツなどに替わる。陽あたりの草原には、コバイケイソウの白い穂先が伸びている。


8月1日

 夜半よりの雨に、皆、心配顔。4時前から、がさがさしている。深い霧が雨粒になって落ちてきている。4時半を過ぎる頃から、東の空に赤みが射してくる。5時10分からの朝食に、食堂に向かう途中で、ご来光。雨がしたたる中でのご来光というのは初めてだ。喫茶室でコーヒーをすすりながら、日が上がるのを眺める。西の空には、大きな虹。 朝食後に出発と予定を変更したのは正解。太陽の上昇とともに、霧が晴れ上がっていく。勇躍、頂上へ向かう。 行く手には、燕岳の象徴、風化した花崗岩が奇景を形作っている。後ろには、大天井岳から穂高連峰、頭に雲の帽子をかぶった槍ヶ岳。少なくなったとはいえ、ガラ場にはピンクのコマクサ


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