会津駒ヶ岳2132.4m
遊歩会 43名
1998年7月31日〜8月1日


7月31日 8月1日
高田 7:55 宿 2:35 駒の小屋 8:30〜 8:40
桧枝岐 14:30 登山口 2:45 水場 9:45〜10:05
    林道終点 3:20〜 3:25 登山口 11:35
    水場入口 5:05〜 5:15 宿 12:15〜14:30
    駒の小屋 6:50〜 7:30 高田 20:00
    駒ヶ岳 7:50〜 8:15    

 全国にたくさんある駒ヶ岳のうち、奥只見の会津駒ヶ岳に行ってきた。

 一日目は、ただバスでひたすら桧枝岐をめざす。秘境といわれた桧枝岐も電源開発の建設工事で道ができ、便利になった。六十里越を越えてはいる。何年か前、日本勤労者山岳連盟が尾瀬の入山者調査を行った際に、銀山湖から入って、こちらに抜けたことがある。

 宿は、歌舞伎舞台のすぐ近くの旅館「ひのえまた」。新築間もない様子。民宿では43人は泊まれない。8人部屋に7人。話に花が咲く。一風呂浴びてから夕食。夜半、雨。その後、星空。

 早朝2時に起床。にぎりめしの弁当をザックに詰め、出発。昨日バスで通過した登山道入口までは、自動車道を戻る。沢沿いの急な舗装された林道を登る。上空のまたたく星が落ちてきそうだ。直登する登山道は、「暗いので」やめて、そのまま林道を行く。やがて車が何台か停まっていて、その上の広場で小休止。

 急な階段から登山道が始まる。そして、急登。風はそよとも吹かないが、夜陰の涼しさが心地いい。ランプの灯が右に折れ、左に折れして登っていく。東の空が少しづつ赤く染まり、グラデーションして上空の闇に消えていく。ヘリポートの看板を過ぎると、傾斜が少し緩くなる。やがて日の出。だが、上がった太陽はすぐに雲に隠れ、その上に赤い光を放射している。そろそろランプもいらない。鮮やかな紫のリンドウ。とげとげしい葉に赤紫の大きな花をつけたアザミ。眼に見えてくる。

 水場がある。1800m程か。3分とある。少しづつ少しづつ登りが緩やかになっていく。それに合わせるかのように、ブナ林がオオシラビソに替わり、ダケカンバが混じり始め、樹高が低くなっていく。昨夜の雨で道はぬかるんでいる。倒木を利用した古い木道が出てくる。そして、小さな草原へ。白いネバリノギランと黄色のキンコウカ。

 そして次に、斜面全体に広がった草原に、木道がまっすぐに伸びている。チングルマはもう風車状に繊毛が伸び、朝日が水滴を七色に輝かせている。水気の多いところには、モウセンゴケや花の終ったハクサンコザクラ。登り詰めたところに、小さな池塘があり、そして駒の小屋が建っていた。朝食休憩。申しわけ程度にワタスゲがある池塘。ヤンマが悠然と飛び、蛙の声もする。

 草原の木道から樹林下に入り、一登りで、会津駒ヶ岳2132.4mの頂上だ。視界が悪くどこも見えない。大きな標柱の前で記念写真を撮る。

 中門岳への巻道に下り、駒の小屋に戻る。そして一気に下山。水場まで下る。中高年登山者は、登りと下りで同じくらいの時間がかかる。膝の痛みを訴える女性を手当てする。ヘリポートからしたの下りは、見た目以上で、皆苦労していた。階段を降りて、林道に出る。

 先ほど降りてきた中年夫婦。「膝が悪い人、下まで車で送りますよ」と言ってくれる。好意をそのまま受入れることにする。「昨年、このルートで、仲間が手に怪我をした。その時、車を下まで取りに行ったが、ここから車で下れば楽なはずだ」と奥さん。

 林道から別れて、朝登らなかった登山道を下る。時間的には相当早い。それにしても、下ってきてからの舗装道路は何ともいやだ。町中に入ると、陽射しがきつい。

 宿ではまず昼食。そして入浴。帰宅の途に着く。バスはほぼ同じ道を戻る。上越市に着く頃、雨が降り始める。

 上空に雲がかかり、眺望は望めなかったが、充実した登山だった。


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