2002年5月4日
米山 (992.6m)
高田 | 8:00 | 下牧との分岐 | 11:35 | |
水野口 | 8:40-8:50 | 水野口 | 12:00-13:00 | |
下牧との分岐 | 9:30 | 高田 | 16:00 | |
米山 | 10:00-11:00 |
今年最初の山行なので足慣らし程度の場所を探した。しばらく登ってなかったので、即、決定した。
どのルートから登ろうかと考えた結果、米山寺(べいさんじ)から入った水野集落から林道が伸びているのを見つけ、ここを登ることにした。林道の終点が約600mあり、高低差はおおよそ400m。1時間程度ののぼりと予測して出かけた。
高校生の頃に下牧から登った時は、米山寺までしかバスが入らず、そこから歩いたと記憶している。今はりっぱに舗装され、下牧にも水野にもバスが入っている。
水野からの林道は、大部分が未舗装だ。終点には広場があり、駐車場も整備されていた。そしてその奥にプレハブ小屋が建っていた。小屋の前には、「熊出没 要注意」の立て札が立っている。従来は東頸城丘陵や米山には熊は生息していなかった。志賀高原の方から来たか、妙高のほうから来たか、いずれにしても国道を越え、信濃川か関川を越え、飯山線か信越本線を越えてやってきたわけだ。
いきなりの急登が続く。思ったよりもきついコースだ。タチツボスミレが大群落をつくっている。テングスミレはそれこそ鼻を高くして咲き競っている。キジムシロの黄色い花が彩りを添え、カタクリはもう実になっていた。コンクリート製の丸太で階段がつくられている。
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30分ほどで下牧からの道と合流する。下から人の声がする。避難小屋があるあたりが約800m。雨があたり始める。傘を出そうか思案していると女性一人と男性四人のグループが追いついてきた。ちょっとした鞍部があり、ヤセ尾根になっている。
ブナ林に変わる。最近まで雪が残っていたらしいところには、ショウジョウバカマがピンクや白の花をつけ、斜面の上の方はもう実になっている。樹間にユキツバキが赤い花をつけ、ガマズミの白い花が薄暗い中で鮮やかだ。白い大きな花びらが落ちている。タムシバはもう終わりを迎えようとしている。そしてひときわ鮮やかな赤紫の花が、ムラサキヤシオだ。そんな花々を愛でているうちに、ちょっとした残雪があり、頂上の小屋の前に出た。
小屋は以前のプレハブから立派なログハウスに建て替えられていた。間口3間奥行き5間で総二階。ドアを開けてはいると、3尺の土間で対面のドアまで続いている。男性二人が食事の準備をしていた。ザックを置いて反対側のドアから出ると、米山山頂の薬師堂への石段の前だった。米山薬師にお参りする。「日本三大薬師の一つ」と書かれている。
小屋に戻り、缶ビールで一人で乾杯。幾人かが上がってきてにぎやかになる。ザックを枕に仮眠。
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屋根から雨だれが落ちているが、雨ではないようだ。でも今にも降りそうなので、下山する。
下牧との分岐で奥に墓石があった。どういういわれがあるのだろう。風化していて彫られた文字は判読できなかった。若い男性3人が登ってきた。登山という格好ではない。「ムリをしないように。雨が降ったら避難小屋に入るように」と話すと、感謝された。今時の若者としては感心だ。
登山口の小屋が開いて、数人の人がいた。「寄っていきない」というので、入れてもらう。囲炉裏の火で岩魚を塩焼きにしていた。昼食を摂らせてもらう。熊の立看板の話をすると、「カモシカも出る」という。この小屋の近くにも来るという。カモシカも熊と同様、この地域にはいなかった動物だ。生態系が大きく変化しているのだろう。焼けた岩魚をご馳走になる。美味。
雨が降り始める。礼を言って帰宅する。実動2時間という、足慣らしには適当な登山だった。
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