雨飾山
(1963.2m)
2002年5月25日〜26日
元信州大学上田山岳部(SUAC)
河原洋、青柳吉宏、今関貞夫、杉本敏宏
高田 | 8:00 | 荒菅沢 | 15:05 |
小谷温泉 | 9:40〜9:55 | 登り口 | 16:00 |
登り口 | 10:05 | 駐車場 | 16:15〜16:30 |
バテレン峠 | 11:10〜11:20 | 小谷温泉 | 16:40 |
笹平入口 | 12:35 | 小谷温泉 | 26日 9:00 |
雨飾山頂 | 13:05〜13:50 | 高田 | 26日11:15 |
元信州大学上田山岳部で同じ釜の飯を食った仲間で、「久しぶりにどこかに登ろう(実は、いっぱい飲もうということだが)」と言うことになった。言い出しっぺの河原の提案で、雨飾山ということになった。当初は、「前の晩に集まって26日に登山」ということだったが、各人の都合がつかないことと、「それでは登れないだろう」ということで、25日に登ってから泊まるということになった。
昭和44年3月に卒業した我々を中心に前後何年かのものに声がかけられたが、最終的には「同期」四人ということになった。
小谷温泉からの登山口の駐車場に「9:30集合」ということだったが、若干遅れて着くと、もう準備をはじめていた。「ピッケルがいいかステッキがいいか」とか、「アイゼンはいるか」などとにぎやかだ。「昔の山やは、流行に遅れているな」など、地下足袋あり、菅笠あり、まあ、普通ではない集団だ。長い紐のついたアイゼンをぶら下げて、「今の連中、つけ方知らないんだ」とか、「ウッドの柄のピッケルを珍しがられた」など、話題は豊富だ。
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「雪消えが早い」とはいっても、駐車場の付近のブッシュは最近まで残雪で押しつぶされていたようだ。タラノキの先端に小さな芽が出始めたばかりだ。
広い川原に下りると、これがまたいい景観なのだ。ミズバショウの群落が広がり、せせらぎには岩魚が泳いでいる。水しぶきをあげる滝もいい。
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急な登りが始まる。タチツボスミレ、ショウジョウバカマなどが。トウゴクミツバツツジの赤が映える。タムシバは盛りを過ぎ、オオカメノキの白い花が瑞々しい。残雪が現れ始めると傾斜も緩くなる。
広大なブナ林が広がる。もう少し早ければ、根元が丸く雪消えしているのだが。一瞬、先行者の足跡を見失ってしまった。上を探したが見当たらず、下におりたらあった。ブナにも赤丸がつけられているのだが、残雪期はこれが怖い。その先からはベンガラで雪に赤く道がつけられていて安心だ。
高妻山や乙妻山が見え隠れする。「春先に一周したことがあったよな」「その時、一夜山に登ったかな」「手前で降りちゃったよ」「そういうのあるんだよね」「南の悪沢岳も通過しちゃったしね」などなどと昔話に花が咲く。
バテレン峠。雨飾の展望がいい。「前はここに標識があったんだがなぁ」
荒菅沢を下っていく人影が見える。まったく雪に埋まっている。予想よりも多い。おかげで水の補給ができなかった。ベンガラに沿ってステップが切られていた。
再度の急登。ツバメオモトは白いつぼみをようやく出したところ。マイズルソウは葉っぱだけ。カタクリだけがわが世の春を謳歌している。シラネアオイはやけに小さい。あとで宿で聞いた話では、「本当は大きいのだが、雪消えが早く、大きくなれないうちに花が咲いた」といっていたが、一理ある。
焼山の頭が見え、右肩に火打の姿も垣間見れる。
笹平。ハクサンイチゲの白い花とカタクリのピンクが笹の合間に広がっている。北アルプス北部の峰が現れる。日本海に向けて青海黒姫山が、頭をガックリと削られた痛々しい姿を陽にさらしている。
最後の一のぼり。ここもカタクリでいっぱいだ。そして頂上。20人ほどの人たちがいた。昼食の間も話がはずむ。
帰りは気楽なもんだ。充分な時間をかけて下る。コバイケイが短い芽を出しているし、猛毒のトリカブトも見られる。少なくなったとはいってもギョウジャニンニクも健在だ。「昔取った杵柄」で、「疲れた」とか何とかいいながらも、雪の上を快適に降りてきた。
最後の急斜面を下り、川原に下りるとさすがにホッとする。雪解け水で小川は増水し、濁っていた。行く時ニリンソウだと思っていたものをよく見るとサンリンソウだった。
何軒かある旅館のうち、山田旅館にお世話になる。風呂でゆっくりと汗を流し、酒を仲立ちにした話はなかなかつきなかった。
26日も快晴。朝風呂を浴びてから、別れる。
いい登山だった。
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