火打山
(ひうちやま=2462m)
2003年5月6日
高田 | 5:25 | 頂上直下コル | 12:40-13:05 |
笹ヶ峰駐車場 | 6:30-6:50 | 高谷池ヒュッテ | 13:55-14:30 |
黒沢川の橋 | 7:50-8:00 | 黒沢川の橋 | 15:35-15:45 |
十二曲上 | 8:40-8:50 | 笹ヶ峰駐車場 | 16:15-16:25 |
富士見 | 9:55 | 高田 | 17:35 |
高谷池ヒュッテ | 10:35-11:05 |
毎年この時期に登るのを恒例としているが、今年ほど疲労困ぱいしたことはなかった。身体全体が、「つかれた〜〜〜」っと言っているようだった。家に戻って、風呂に入り、ビールを飲んだら、もうどうにもならず、朝まで寝てしまった。
朝の高田は猛烈な霧の中だった。対向車のライトが直前になって見えるというような中を出かけることにした。杉の沢近辺の濃霧が心配だ。しかし、その霧も関山あたりからは晴れていた。
笹ヶ峰の牧場に雪が残っており、駐車場のあたりで70〜80pほどだった。登山口の駐車場はまだ除雪がされておらず、キャンプ場の駐車場にとめる。わずか数台が無秩序に残っていた。連休後の平日だから、こんなものなのだろうか。
比較的新しい足跡とスキーで下ったあとが残っているが、夏道とはかなり違ったところを通っている。どこを歩いても行けるが、見覚えのあるブナの大木や古い赤布などもたよりにして行く。ツツドリの「ホーホー、ホーホー」という声が遠くから聞こえてくる。木をつつくような「コンコンコンコンコン」という音はキツツキだろうか。そんな鳥たちのいとなみを聞きながら登る。
「ザザーッ、ザザーッ」という音がし始めて、黒沢川に出る。橋を渡って休憩。水を補給する。水音以外、何も聞こえない。
十二曲は雪が多いために、いつもよりも楽に登れた。ヒメコマツよりもかなり上で稜線に出る。眼下の黒沢川はほとんど雪に埋まっているが、所々口が開いていて水しぶきが上がっている。狭い川筋にスキーで滑降したあとが面白い模様を描いている。降りていくのだろうか、人声がしたような気がした。
稜線の岩場は雪の中で、右から巻いている跡もあるが、安全な左から登る。そして、オオシラビソの樹林帯に入る。直射日光が遮られ、涼しさを覚える。二つ沢を過ぎると下った真新しい足跡が残っていた。富士見の手前の木陰で休むと、小鳥が木々の間をさえずりながら飛び交っている、その音だけ。原始の世界はこんなだったんだろうかなどと、しばらく思いにふける。
ひろ−−−−い富士見平。焼山はかすかに噴煙が上がっているように見える。晴天が続いているためだろうか、北アの峰々は霞の彼方だ。黒沢岳をトラバースして高谷池ヒュッテへ。残雪は2.5mほどか。ヒュッテは無人だった。中に入って一休みする。管理人の築田氏も見えないが、写真でも撮りに出かけているのだろうか。今日はここまで人っ子一人出会わなかった。
天狗の庭からは稜線に上がらずトラバースしている。雪が多いためだろう。中腹に差しかかる頃、スキーを履いた人が、快適に登ってきて、追い抜いていった。今日はじめての人。陽射しはますます強い。ハイマツ帯が終わったところで、風を避けて休もうと、わずかに現れた夏道に入ると、人声がした。築田氏が7人の若者を従えていた。歓談。疲労もあり、13時には下り始めないとと思っていたので、登頂はやめてここから引き返すことにする。頂上までは30分ほどだと思うが。
下りはじめて、ハイマツ帯のトラバースで登っていく人に出会い、天狗の庭のところで夫婦連れに出会う。これが今日であったすべて。ヒュッテにはスキー隊よりも早く着いた。缶ビールを一本空ける。「夏ごろにまた来るかも」と言ってヒュッテをあとにする。
黒沢岳のトラバースで、あとから登っていった人が追い越していった。富士見平で最初に会った人が、追いついてきた。長野の人のようだ。二つ沢の手前で、右の谷を降りるという。「いっしょに」というので、ついて行くことにする。スキーで快適に降りていくのをグリセードでついて行く。標高差は300mもあっただろうか。久しぶりの快適な長いグリセードだった。先に下りた彼氏は待っていてくれた。谷の途中からトラバースして、十二曲の方に向かい、黒沢川の橋に出た。
笹ヶ峰につくと、明星荘の人が雪囲いをはずしていた。登山口の駐車場もきれいに除雪されていた。帰り道、道路に張り出したブッシュを刈り取っていた。
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