2006年05月05日
火打山
単独
 
火打山での写真
 
自宅 5:45 黒沢川 13:50-13:57
笹ヶ峰駐車場 6:55-7:07 笹ヶ峰駐車場 14:35-14:47
黒沢川 8:03-8:10 杉野沢 15:10-15:40
高谷池ヒュッテ 10:57-12:40 自宅 16:30
 
 火打山まで登ろうと思って出かけたのですが、高谷池ヒュッテで戻ってきました。
 思った以上に時間がかかりすぎてしまったためです。以前は、「なんとしても行こう」という気持ちが強かったのですが、最近は、「まあこの位でいいか」と、ついつい妥協してしまいます。やはり年ですかね。
 今年はやっぱり雪が多いですね。笹ヶ峰の駐車場、20台位しかスペースがありません。登山口の駐車場は存在すら判らない常態です。明星荘は雪で押しつぶされたようです。
 私は、十二曲を登りましたが、黒沢をつめる人の方が多いようです。前後していた男性と5人のスキーヤーもそちらへ行きました。
 その十二曲、見えるのは大きなブナやダケカンバだけであとは一面の雪です。上の方で人影が動きました。かなり右の方から登っているようです。私は夏道に近い左の方から登りましたが、それでもヒメコマツの右に出てしまいました。夏道のあるあたりには、一つの足跡もありませんでした。
 稜線に出るとスキーを担いだ男女が降りてきました。難しかったのでしょう。樹林の急斜面ですから。
 富士見平の雪原で、5人組と出会いました。
 黒沢岳のトラバースは、スキーで足跡が踏みつぶされています。高谷池ヒュッテがやけに低く見えます。いったん下ってからヒュッテに向かって登っていくと、ヒュッテの屋根が現れてきますが、見えるのは二階の窓の上までです。ここも豪雪だったのですね。
 それにしても4時間とは、かかりすぎましたね。
 例の5人組は、高谷尻沢を下るという。
 ヒュッテの中に入ってみました。いつも売っているビールやワインが売られていないのが不思議でした。ヒュッテの管理人にコーヒーをご馳走になったのですが、その時、「冬の間に盗難にあった」という話を聞き、愕然としました。
 昨年末に小屋を閉じ、4月22日に開設の準備に登ってきて被害が判った。黒沢ヒュッテでも同様に荒らされていたという。インスタントラーメンなどの食料品は言うに及ばず、ミネラルウォーターが何ケースも無くなっていた。ガムテープが箱ごと、女性の生理用ナプキンもない。茶漉しなどの備品も被害にあった。従業員の衣類や防寒具なども無くなっていた。タバコも全部無くなっていたし、まさにありとあらゆるもの、手当たり次第という状況だった。
 毛布が何枚も重ねて敷かれていて、灯油もすっからかん。ガスの元栓を開けて煮炊きした形跡もある。一斗缶に糞尿が満タンになっていたので、何日か「生活」していたようだ。大量の物資・備品が無くなっているから、ザックで担いで下ろしたんじゃないな。
 このヒュッテは、3階が冬季小屋として開放されています。2月にここを利用した人は、気がつかなかったといいます。施錠された1階と2階が荒らされていたということです。
 厳冬期登山のためにデポしておいた食料などが盗難にあったという話を時々聞きますが、山の中でこんなことが起きるなんて、異常な事態ですね。
 午後になると山々に霞がかかり始めます。すぐ近くの火打山でさえ、何かはっきりしません。
 富士見平まで登り返せば、あとは下り一方です。暑いくらいだったため、雪はザクザクに腐っていて、快適に下るつもりが、ぜんぜん快適じゃありません。
 二つ沢で「どうしようか」と思いましたが、この陽気じゃ雪崩れるんじゃないかと思い、十二曲コースを選びました。その十二曲、「みなさんどこを通っているんだろう」と、踏跡に沿って降りてみました。すぐに稜線から離れ、かなり上の方をトラバース気味に下っていただけでした。グリセードも雪が重く快適に滑れません。
 黒沢川からは、ひたすら樹林の中を下り、駐車場をめざします。
 子供たちの声が雪の上を響き渡っていました。ゴールデンウィークの休みに、お父さんに連れられてきたのでしょう。かつてのわが一家を思い出しました。
 杉野沢で入浴し、帰宅しました。
 国道も、高速道路も、上り線が渋滞していました。
 
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