9月に遊歩会で西穂独標に登るのだが、今年のサマテンでは、その下見を兼ねて登ることを早くから予定に組み入れていた。
「往復でどの位」
「8時間でしょう」
というので、それを目標に行ってみることにする。
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「遅くとも6時発」の予定だったが、25分遅れで出発。河童橋で見ると、上部にすでに雲がかかり始めていた。「下手すると夕方夕立かな」と思いつつ、歩を進める。ちらほら観光客が歩いている。
西穂登山口の門をくぐると樹林帯で、夕暮れ時のように薄暗い。玄文沢の堰堤をすぎると傾斜がきつくなる。しばらく行くと夫婦連れが休んでいた。地図では真っ直ぐに登っているが、実際は右に左にとつづら折に登っている。それでもかなりきつい登りではある。地図に示されたルートとGPSの表示がかなりずれているのが分かる。往々にしてあることである。今は、中尾根の稜線に出て登っている。それで一本調子の登りでないのがよい。傾斜が緩やかになり、平坦な所や、時々下りもある。
しばらくして小さな沢音が聞こえた。水を補給できるようだ。さらに一登りすると、沢筋に入る。キヌガサソウが一輪咲いていた。
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やがて焼岳との分岐。休んでいると、直前で追い抜いてきた夫婦が上がってきた。
「どちらまで」
「西穂山荘で折り返そうと」
「もったいない、山荘まで数百メートルだから、せめて丸山まで行かれたら」
「考えてみます」
実際は山荘まで300mほどだっただろうか。すぐに着いた。
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西穂山荘の前は、人だかりがしていた。ほとんどがケーブルで上がってきた人たちのようだ。その人混みの中で休む。霞沢岳の頂上部だけ雲がかかっている。丸山への道にもたくさんの人影が見える。やはり上部はガスに覆われている。
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丸山の頂上は、傾斜が緩やかになったその先にあった。少し下って、独標の登りにかかる。小さな子どもが数人降りてきた。二家族のようだ。昔を思い出す。そして最後の登り。鎖が張られた岩稜をグイッと登ると頂上だ。狭い山頂に10人ほどの人たちがいた。上高地方面がよく見える。西穂の方は相変わらず雲がかかっている。一緒に登ってきた四人組が西穂の方へ行った。降り口が崩れているというような話があったがそんなようには見えなかった。
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西穂山荘に戻ってコーヒーを注文する。なんとインスタント。ソフトクリームが売りのようだ。パンで昼食。中学生の学校登山の大部隊が降りて行った。本当はこの前に降りたかったのだが・・・。
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山荘から少し下ったところで転倒してしまった。右足の踵が岩に引っかかってしまったようだ。頭を少し打ったようだ。足が上がっていないのだ。右手の親指と薬指を突いてしまったらしい。しばらく休む。大丈夫そうなのでゆっくりと下り始める。極端に慎重になる。仕方がない。
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しばらくして中学生たちに追いつく。先生が「百人います」と心配する。「横からすり抜けますからそのままでいいですよ」というと、ホッとした顔をした。百人を追い越すというのは、なかなかだ。変なところで休めないので、ついつい過重労働になってしまった。この大部隊に取り込まれている人たちが何人かいた。
全部追い越してしばらく急坂を下り切ると、もう堰堤が見えた。もう登山口はすぐそこだ。緩やかになっても気を抜かないで歩く。
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田代橋にたくさんの人だかりがしていた。ガイドが何か説明しているようだった。その人たちが川原の道を行ったので、山側の道を行く。こちらはすれ違う人も少ない。
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河童橋に来るとそこはもう、観光地だ。吊り尾根に雲がかかっている。登山者が肩身の狭い思いをする。観光客の間をすり抜けて、サマテンに到着する。
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ほどほどの天気だったが、ほぼ予定の時間に戻れた。
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