2013年05月14日
高谷池ヒュッテまで
行ってきました
単独
 
高谷池での写真
 
自宅 6:09 高谷池ヒュッテ 12:08-13:05
笹ヶ峰登山口 7:07-7:21 黒沢橋 14:33-14:41
黒沢橋 8:36-8:45 笹ヶ峰登山口 15:20-15:41
十二曲上   苗名の湯 16:23-17:30
巻道入口 11:28 自宅 18:20
 
20130514 高谷池 ルート図
 
 例年は連休に火打山に登っていたのだが、今年は前半に町内の人の葬儀があり、その後天候が悪かったりしたので、行きそびれてしまっていた。14日と16日に日程が取れたが、16日は天候が下り坂ということで14日に行くことを決めた。そのために「広報じょうえつ」の仕分けなどの作業を13日中に集中して終わらせることになった。

 
 残雪が多い。例年よりも2週間遅れで行ったのだが、いつもと変わらぬ残雪量である。登山口の駐車場を出ると直ぐに、木道は隠れてしまい、雪上に出るという具合である。スキーの跡が一つ、スキー靴の跡が一つで、先行者は2人のようだ。
 
 黒沢橋を渡り、十二曲の登りにかかる。踏跡はかなり手前から稜線に向かっているが、それを忠実に辿る。十二曲の上に出たところで休んでいると、若い夫婦連れのスキーヤーが上がってきた。ここからこの2人と前後して登ることになった。
 
 富士見平でこの2人は黒沢岳に向かっていった。写真を撮っていると、「やあ、また会いましたね」と声がかかった。高谷池ヒュッテの元管理人だった築田博氏だった。「お先に」と言って、スーーーーッと追い抜いていった。
 
 黒沢岳のトラバースはあまり好きではない。この日は、踏跡がスキーで消されてしまっていたのでなおさらである。まあ、前半の傾斜のきつい所を過ぎれば、どうということはないのだが・・・。

 
 ヒュッテに着くと、ヒュッテの管理人と2人のスタッフ、それに築田氏がいた。お茶をご馳走になりながら、握り飯を頬張る。
 
 冬期間にイタチが食糧倉庫に侵入して中を食い荒らしたために、開業時たいへんだったといっていた。小動物とはいえ、厨房なども全て消毒し、新たに食料を荷揚げして開業にこぎつけたが、最初は自炊のお願いをしたのだという。
 以前、森山管理人の時代に、人間に荒らされたことがあったが、それ以来の大掛かりな事件だったようだ。
 
 まだ2階と同じ位の残雪である。4月20日頃までは順調に消えていたらしいが、その後頻繁に降雪があり、なかなか消えなくなったといっていた。
 「いつもなら、この時期、窓から来たアルプスが見えるようになるんですがね」
 「この調子だと、雪消えは7月にずれ込みますかね」
 「花は、海の日の連休辺りからかな」
 「そろっと予約が入り始めていますね」

 
 ヒュッテの横に下っていったスキーの跡が一つ、加わっていた。かなり幅の広いスキーのようだ。
 黒沢岳のトラバースを通過して雪原に出たところで、ヒュッテの管理人が追いついてきた。下で打ち合わせがあるのだとか。「お先にどうぞ」といったのだが、なぜか笹ヶ峰まで同行することになった。
 十二曲の下り。彼はステップを切って降りて行く。その後からグリセードで下る。
 「上手いモンですね」
 「それほどじゃあないけど」
 「その方が早いし、楽ですね。今度練習しよう」
 「滑っても止まるところでね」

 
 そんな時、彼は10mほど滑って止まった。ストックではなかなか止まらないのだ。やはりこういう場所はピッケルだ。

 
 黒沢橋で休んだだけで、笹ヶ峰の登山口まで降りてきてしまった。

 
 しばらくして影火打から惣兵エ落谷を滑降した築田氏が現れた。「黒沢の橋までしか入れないね」という。除雪せず、自然融雪に任せているのだ。車道に出てから駐車場に戻ってくるまでが長い。

 
 最後は、苗名の湯で汗を流して、帰宅した。

 
2013年の記録