例年は連休に火打山に登っていたのだが、今年は前半に町内の人の葬儀があり、その後天候が悪かったりしたので、行きそびれてしまっていた。14日と16日に日程が取れたが、16日は天候が下り坂ということで14日に行くことを決めた。そのために「広報じょうえつ」の仕分けなどの作業を13日中に集中して終わらせることになった。
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残雪が多い。例年よりも2週間遅れで行ったのだが、いつもと変わらぬ残雪量である。登山口の駐車場を出ると直ぐに、木道は隠れてしまい、雪上に出るという具合である。スキーの跡が一つ、スキー靴の跡が一つで、先行者は2人のようだ。
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黒沢橋を渡り、十二曲の登りにかかる。踏跡はかなり手前から稜線に向かっているが、それを忠実に辿る。十二曲の上に出たところで休んでいると、若い夫婦連れのスキーヤーが上がってきた。ここからこの2人と前後して登ることになった。
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富士見平でこの2人は黒沢岳に向かっていった。写真を撮っていると、「やあ、また会いましたね」と声がかかった。高谷池ヒュッテの元管理人だった築田博氏だった。「お先に」と言って、スーーーーッと追い抜いていった。
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黒沢岳のトラバースはあまり好きではない。この日は、踏跡がスキーで消されてしまっていたのでなおさらである。まあ、前半の傾斜のきつい所を過ぎれば、どうということはないのだが・・・。
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ヒュッテに着くと、ヒュッテの管理人と2人のスタッフ、それに築田氏がいた。お茶をご馳走になりながら、握り飯を頬張る。
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冬期間にイタチが食糧倉庫に侵入して中を食い荒らしたために、開業時たいへんだったといっていた。小動物とはいえ、厨房なども全て消毒し、新たに食料を荷揚げして開業にこぎつけたが、最初は自炊のお願いをしたのだという。
以前、森山管理人の時代に、人間に荒らされたことがあったが、それ以来の大掛かりな事件だったようだ。
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まだ2階と同じ位の残雪である。4月20日頃までは順調に消えていたらしいが、その後頻繁に降雪があり、なかなか消えなくなったといっていた。
「いつもなら、この時期、窓から来たアルプスが見えるようになるんですがね」
「この調子だと、雪消えは7月にずれ込みますかね」
「花は、海の日の連休辺りからかな」
「そろっと予約が入り始めていますね」
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ヒュッテの横に下っていったスキーの跡が一つ、加わっていた。かなり幅の広いスキーのようだ。
黒沢岳のトラバースを通過して雪原に出たところで、ヒュッテの管理人が追いついてきた。下で打ち合わせがあるのだとか。「お先にどうぞ」といったのだが、なぜか笹ヶ峰まで同行することになった。
十二曲の下り。彼はステップを切って降りて行く。その後からグリセードで下る。
「上手いモンですね」
「それほどじゃあないけど」
「その方が早いし、楽ですね。今度練習しよう」
「滑っても止まるところでね」
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そんな時、彼は10mほど滑って止まった。ストックではなかなか止まらないのだ。やはりこういう場所はピッケルだ。
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黒沢橋で休んだだけで、笹ヶ峰の登山口まで降りてきてしまった。
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しばらくして影火打から惣兵エ落谷を滑降した築田氏が現れた。「黒沢の橋までしか入れないね」という。除雪せず、自然融雪に任せているのだ。車道に出てから駐車場に戻ってくるまでが長い。
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最後は、苗名の湯で汗を流して、帰宅した。
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