19日は、遊歩会の今年2回目の登山で、信越トレイルの第3セクション、湧井から桂池までを歩きました。25人の募集に対して32人の申し込みがあり、5人のキャンセルがあって、27人で歩きました。 |
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前夜から強風が吹き荒れていたのですが、朝には何故かその風が収まってくれました。
長沢川が長野県に入ると松田川と名を変えます。分水嶺の手前に湧井集落があります。登山は、国道292号の集落入口から、いきなりの急登で始まります。トキワイカリソウが群れを成して咲いています。雪消えが遅かったのでしょう、かわいいチゴユリがあり、エンレイソウも、少し行くと今度はオオイワカガミが色どりを添えてくれます。 |
富倉峠。かつて越後と信濃を結んだ交易路です。
292号の富倉から飯山に通じる、かつての交易路です。すぐそこに、石垣を積んだ富倉からの道が来ています。それが飯山に向かって下って行っています。関田山脈には、こうした交易路がたくさんあります。そしてその峠の名前は、平丸峠・関田峠・牧峠とほとんど越後側の部落の名前が付いています。越後・春日山が中心だった名残です。
川中島の合戦に何万という上杉軍が出陣しますが、当然一つの峠からでは人が溢れてしまいます。これらの峠は、軍用道路でもあったわけです。飯山が手に取るように見えますが、尾根伝いに、のろしを上げた所や物見の場所があります。 |
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大将陣。大きな看板が立っています。
「上杉謙信がここで兵を休ませたので「大将陣」と呼ばれています。ここを通過する峠道は「謙信道」とも呼ばれており、川中島合戦の際の軍事道路として、関田峠とともに上杉家所蔵の古地図には特別に太い線で記されています。」 |
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ソブの池。農耕用のため池です。こういう池が信越トレイルのあちこちにあります。草刈りをする人がいました。北峠には、軽トラが上がってこれる道が十字をなしています。 |
富倉峠からは比較的緩やかな登り下りが続いていましたが、黒岩山の登りに差し掛かると、やっと登山らしい登りになりました。そんなところに西側の林が切れて、パッと開けた所がありました。素晴らしい展望です。まだたくさんの雪を頂いた妙高と火打がデーーーンとしています。左に高妻山、黒姫山と続いているのでした。 |
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黒岩山はトレイルのルートから離れた所にあります。
「山頂まで150mほどだけど、行きますか?」
「せっかくだから、行きましょうよ」
ということで、行ってみました。樹木が生い茂った緩やかな頂上です。道からそれた所に三角点がありました。築造した時は、きっと樹木が小さく展望が良かったのでしょう。 |
戻って、分岐から下ります。急な下りです。左に回り込んだ所に東屋がありました。黒岩山展望台です。東側が開いていて、真下に飯山の街、その先に高社山から出てくる新幹線、野沢温泉の奥の山々と続いています。
少し時間が早いのですが、ここで昼食休憩。 |
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桂池へと向かいます。ほぼ360°のヘアピンカーブがあり、熊の巣池。水芭蕉の群落。植生回復のため付けられた道を下ります。太郎清水への分岐を行かず、真っ直ぐに桂池へと降りました。 |
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池の縁を行くと、上平丸からの車道に出ます。車が停まっていて、釣り人がいました。
「何が釣れますか?」
「バスです」
誰かが「バスは放流して欲しくないんですよね」と。 |
「セクション3は仏ヶ峰までですが、そこの登山口までは道が狭くてバスが上がって来れないので、スキー場の下まで降りなければならないんです。仏ヶ峰までは片道で1時間半から2時間かかります。1時間ほど行ってみてそこから戻ることにしますが、それで良いですか?」
「そうしましょう。」 |
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それまでも、コゴミ、ゼンマイ、ワラビ、キノメなどを収穫していたのですが、今度はもっと本格的です。中古池の先まで車道が伸びてきていました。中古池は桂池と比べると落ち着いた雰囲気の池です。北古池湿原は、登山道からは見下ろす感じ。まだ雪が消えたばかりのようで、枯れ草に覆われていました。
その湿原から流れ出るせせらぎを渡った所に畑のようなコゴミの群落があり、そこから引き返すことにしました。 |
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バスは電波塔への入口で待機していました。曲がりくねった細い道。 |
暁の湯で汗を流して帰路につきました。 |
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