1990年06月10日
富士山
(ハン・テングリ順応訓練)
 
杉本敏宏 田上千俊
 
富士山(ハン・テングリ順応訓練)での写真
 
佐藤小屋 5:45 富士吉田 14:00-14:30
八合元祖室 8:30 双葉SA 15:25-15:35
富士山頂上奥宮 10:05-11:00 高田 19:45
佐藤小屋 12:45-13:00    
 
 
 
 5時出発の予定が大幅に遅れてしまった。風はまだ強い。ピストンなので、荷を軽くする。田上氏は、上下の雨具を着け、ヘルメットをかぶり、アイゼンを持っての出発。
 
 佐藤小屋の前には、10人ほどのパーティがテントをたたんでいた。あの風雨の中では大変だったろう。
 
 しばらく、ダケカンバとカワラハンノキの間についた道を登る。あちこちに馬糞が落ちている。夏、馬が人を運ぶのだそうだ。廃屋がある。そして墓地。すぐに森林限界を過ぎる。何もないがらがらの斜面にじぐざぐに登山道がある。
 
 下から見上げると小屋が幾つも連なっている。その上の頂上らしきものは、8合目とのことだ。6合5勺の標識があり、約2600m。まだ頂上まで1000m以上あるのだから3770mというのはさすがに高い。
 
 7合目の下あたりから、沢筋に残雪が現れる。中年の外人と案内人であろう日本人のパーティを追い越す。7合目の最初の小屋から最後の小屋までは、100m以上の標高差がありそうだ。夏には、賑わうであろうこれら売店小屋も今はまだしっかりと戸が閉められている。小屋の下はどこもゴミだらけだ。日本一の山がゴミの山では、かわいそうだ。7合目の中間ぐらいで休んでいると、10人ほどのパーティが追い抜いて行った。時々明るくなるが、相変わらず風が強い。特に急にくる突風には参った。朝から山からはずれたところにかかっていたレンズ状の変な雲もまだ残っている。
 
 8合目につく頃には、もう雪の方が多くなっている。それでも、昨日の雨でザクザクだ。岩との接点では、凍っている。8合目にも幾つかの売店小屋がある。富士山は小屋ばっかの山だ。
 
 8合5勺、9合目を過ぎて、ようやく「冨士山山頂浅間神社奥宮」の石柱の前に出る。10人ほどの外人。最高点に行こうと、左の高みに向かって建物のかげから一歩出るとすごい風だ。戻って反対の方から廻ろうとして建物の後ろの丘にまで登ったが、立っているのがやっとの程の強風。結局、あきらめる。気象台のドームが光っていた。
 
 建物の陰で休み、昼食。その間にも何人かが登ってきた。登山者の半分ぐらいは、外人か。さすが国際的な富士山、それとも米軍基地があるためか。
 
 下山は、雪の斜面を一気に7合目まで下りる。先に下りた外人10人パーティは、シリセードで下りたようだ。スキーの跡もある。グリセードには、少し傾斜が緩い。着いた7合目の小屋は、須走りの小屋だ。左に大きくトラバースする。どこにでも道があるという感じだ。
 
 とても長く感ずるジグザグの道を下る。陽が当たり始め、砂ぼこりがたち始める。昨日あれだけ降った雨がもう乾いてしまったのだ。雪の中を下ったおかげで、かなり早く着いた。うだるような暑さ。
 
 林道を戻る。昨日来るときに溢れるばかりに流れていた沢の水は、もうどこにも見あたらなかった。これもこの山の特徴か。

 
 帰路は、精進湖から甲府に抜け、高速道路に乗る。冷房を入れるほどの暑さだった。

 
09日 10日 1990年の記録