降り続いた雨もようやくあがって、いよいよ出発です。徒歩では予定を消化できないために、車で行くことになりました。サーダーが朝早くから、車の手配に奔走していましたが、我々は車が来るのを待つのみです。
南西の方角に、時々雲が切れると、そこに真っ白なダウラギリが姿をあらわします。ホテルの横を流れる川は、まだ増水したままですが、みんな思い思いにそのあたりを徘徊していました。
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ここマルファでは雨でしたが、トロンパスは昨日、1メートルほどの雪が降ったそうで、われわれがその前に越えて来たというのは奇跡的なことだったということができます。その大雪で、第二隊は撤退を開始したということですが、第一隊は詳細はまだよく分かりませんでした。お役御免のロバ隊は、南回りで帰るそうです。
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ようやくバスの手配ができて、9時35分にマルファを出発しました。マルファの街の中は道が狭くて通れないので、田んぼの中に一直線のバイパスが走っていますが、バスが横転してしまうのではないかと思うほどのぬかるみです。そこを行く途中で、バスがぬかるみにはまってしまって、脱出するのにしばらくかかりました。マルファの外れまで来た時ですが、今度はバスの前に羊の大群が道路を占拠していて、いっこうによける気配はないのです。一難さってまた一難。苦労して羊を追い払い、通過しました。
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「難」の後に難は続くものです。マルファを出て40分、ツクチェの手前で、今度は土砂崩れで通行止めです。対向車やこちらの先行車から運転手や乗客が降りて「道普請」が始まりました。日本なら、自分たちは何もせずに、市役所や工事事務所に電話が殺到してたいへんでしょうね。でもネパールでは、道を必要とする人が自分たちで直して通過するのです。お国柄といえばそれまでですが、日本もかつてはそうだったのではないかなと思いました。
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道普請の合間に、カリガンダキを挟んだ対岸の山の上の雲が切れ、ニルギリが顔を出しますが、雲の流れが速く刻々と変わってしまうのでタイミングを計って写真を撮らなければなりませんでした。
待つこと1時間半。ようやく道路の修復が終わり、向こうから4駆のジープが一台降りてきました。こちらのバスもエンジンをかけ、ようやく出発しました。
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右に左に大きく揺れながらもバスは、ツクチェ、レテなどを通過し、13時40分、ガーサというバスの中継点に来ました。インドからの巡礼の人たちでにぎわっています。
一応昼食ということではあるんですが、すでに皆さん決壊箇所で待機している間に食べてしまって、もう食べるものがなく、かといってここのバッティで何かあるかと聞いてみたんですが、何にもないという状況です。そんなことで、みんな手持ち無沙汰で成り行きを見ているということになりました。ここでみんなの心を和ませてくれたのは、若い美人の姉妹でした。
ここまでもひどい道でしたが、ここから先もこの数日の雨で道路事情が悪いようです。乗り換えのバスを待っていたのですが、なかなか来ません。結局、「道が悪くて上がって来れない」ということで、「手荷物を担いで、1時間半ほど歩いて、下りる」ということになりました。もともと歩いて下る予定の所です。
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下るにしたがって大河カリガンダキがどんどん狭くなっていきます。「これがあのカリガンダキか」と思うほど狭い溝のような所を滝のように水しぶきをあげて流れ落ちていく様は、ネパールの自然のすごさ、不思議さを感じさせます。
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途中で休んだ茶店。そこで食べたチャパティ、これがたいへん美味かった。懐かしい炭火の七輪(コンロ)で油で揚げたものです。
タトパニから車が迎えに来るというのですが、これがなかなか来ません。そのおかげで、車なら一瞬にして通り過ぎてしまうところですが、歩くといろんなものが目にとまりました。それで気を紛らわせながら歩くしかありません。夕闇も迫ってきました。
迎えのジープに遭遇したのは17時頃になってからでした。人が乗っているので違うかと思いましたが、空車では来ないんですね。少しでも稼ごうというたくましさ。
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宿泊地のタトパニに着いたのは、もう陽も暮れた17時40分でした。今日はテントではなくホテル泊まりです。標高が1200m位にまで降りてきたためか大きな蚊が飛んでいます。タトパニとは温泉のこと。ここには温泉があります。その温泉に夕食後、皆さん入りに行きました。そこには蛍が飛んでいたそうです。
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