1972年08月15日
前穂高岳(3日目)
 
 
上高地 10:30 奥又白谷 13:00-13:20
明神 11:00 松高ルンゼ入口 13:50-14:15
新村橋 11:45-12:00 奥又白池 15:30
 
 またも昨夜の酒で、起きたら8:00。メシを作って食べ終わったら、10:00。青柳氏、サマーテントへ行ったら「今日は、行くだかい」といわれた。侮辱感じる。OBのメンツにかけても絶対に行こう。
 昨夜は、隣のテントの人から、カレーと味噌とジャガイモと米とハイミーと漬物とソーセージとお茶とラッキョウをもらって、トマトを2つやった。今日は朝から、隣のアベックから卵を4ケもらった。とてもうれしかった。来年は俺も何とかして彼女を見つけて、二人づれで来よう。
 10:30出発。明神でサングラスを今関氏が拾った。自分のメガネを青柳氏に貸し、テメエはトンボメガネでいい気分。ヤツは、上高地で1円拾った。
 新村橋の手前で俺は急にもよおした。それで今関氏からPaperをもらい、大キジを打った。さっぱりした。ツバメオモトの実が可憐だった。
 笹薮をヤブこぎで手に傷をつけながら進んだ。テントのポールが役に立った。
 笹薮を抜けると、そこは白い、目がまぶしいような奥又白沢だった。はるか彼方に雪渓が見えた。この辺はパノラマコースと同じルートだ。しばらく沢を進むとテントが1ケ張ってあった。
 そこから沢を抜け、山道に入る。また藪コギだ。先頭にいる俺は、本当に大変だった。
 20分もすると松高ルンゼの入口に来た。またまた休んだ。水が冷たくてうまかった。汗がべっとりついて、体中から異様な臭いがする。
 松高ルンゼを左に見て、中畑新道を登る。トレーニング不足で、足が思うように進まない。松高ルンゼを抜けた所で、一休み。途中、ベニバナイチゴの実が美味かった。後ろの二人は苦かったらしい。この休みに食べたレモンの美味かったこと。酸っぱさを通り越して甘みを感ずる。これは、末期症状だ。
 すぐ上が台地状に見えるので、早くあそこまで行こうと思いながら、足は進まず。10分位奮闘してやっと台地に出たら、そこには奥又白池があった。ホッとしたというか、ガッカリしたというか。テントが10ばかり張られていた。
 今日の晩飯はカレーだ。とてもうまかった。2杯食べた。蝶ヶ岳の上に出た積乱雲がとても美しかった。
 今関氏がまたまた英雄主義(ヒロイズム)を発揮。1000円札とナイフを拾った。あいつは明日、良くないことがあるだろう。
 今、ウィスキーを飲んで、ローソクの火で、この日記を書いた。
 おやすみ。
 
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