1974年11月24日
唐松岳
 
 
第三ケルン 6:45 展望台 14:30-15:00
丸山ケルン 8:22 ゴンドラ下 16:10-16:30
唐松小屋 9:50-10:05 白馬駅 17:05-18:24
唐松岳 10:28 糸魚川 19:51-20:00
牛首 10:40 直江津 20:45
丸山ケルン 11:40 高田  
第三ケルン 12:00-13:45    
 
 夜半風が強くなりテントが唸っていた。4時にかけた目覚ましが、3時半に鳴ったとか。それでも、もぞもぞと起き出した。雑煮作って、腹ごしらえ。
 オーバーヤッケ、ズボン、シューズを着けアイゼンを履く。風が強いためか、それとも慣れないためか、アイゼンをなかなか着けられないのがいる。ようやく出発。風はますます強い。
 風と雪のためか、距離感がない。もうすぐ稜線かと思っていたら、何と丸山ケルン。時折吹き付ける突風が、雪を顔に叩きつける。眉や睫毛に氷玉がついて、目の前にぶら下がっている。息もできないような風が吹くことがある。泊まって確保。最後尾は、いつも最も風当たりの強いところ。吹雪ではあるが、これは風に雪が舞っているだけなのかもしれない。
 辺りが明るくなり、日が差しそうな気配を見せる。顔は出さない。
 トレースは、はっきりしないようだ。ダケカンバの林を抜けた斜面の上で、1パーティ(3人)と、丸山を過ぎて1パーティ(7人)、更に稜線に出る手前で1パーティ(4人)、計3パーティに出会った。こんな日は、人と会うとほっとする。
 稜線の風はさらに強かった。一旦、冬季小屋に入った。真っ暗。5人の先客がいたが、すぐ出て行った。女性二人と木島氏が残り、他は頂上へ向かった。正月より雪は多い。風も強い。ピッケルも腕も風で流されそうだ。一歩一歩踏みしめ、ようやく頂上。8月に遭難した有沢製作所の女性の遭難碑があった。
 下山。今来たばかりのトレースがもう消されている。登りに見てきた岩や樹木などを目標に下る。鞍部の道標に着き、ほっと一息。牛首の分岐点には、小屋の3人は待っていなかった。
 降り口に踏み跡が残っているので、下山したものと下る。滑ったような跡。危ない。下まで止まらないだろう。木島氏の姿。風が強いので、岩陰に身を寄せていたとのこと。
 わずかに残されたトレースを頼りに降る。丸山ケルンの少し前で、道を見失ってしまった。古木君と二人で偵察。メガネを外した二人は顔を見合わせ、「座頭が二人、道探しか」と笑った。
 頭を赤く塗った杭を見つけ、誘導。丸山ケルンには、吹きさらしにテントが一つ風に耐えていた。
 八方尾根は尾根幅が広い。広すぎて帰って困るのだ。今日みたいな日は、分からなくなってしまうからだ。
 例のダケカンバ林に入る手前の斜面で、降りる方向を間違えてしまった。おかしいとは思ったが、はっきりしたトレースがあるというので行ったのだが。
 5分ほど行くと、下から10人ぐらいのパーティが上がってくるのに出会った。このトレースは彼らが下りに付けたのだ。そして間違いに気づき登ってきたのだ。我々は降りかけたところで分かり、助かった。すぐ引き返し、尾根に出ると、木に赤旗がつけてあり、30mほど下の木にもあった。さらに左手の斜面を50mほど下ったところの木にもあった。そしてそこはダケカンバの林だった。
 無事テントに戻りすぐ帰りの支度にとりかかった。一応の腹ごしらえ。風は全く止みそうにない。テントをたたみ、再びアイゼンをつけて出発。息子をケルンで、再び道を間違えそうになったが、遠くに見えるケルンを見つけ、間違えずに済んだ。
 
ページトップへ 11月23日 11月24日 1974年の記録