1981年08月15日
前穂高〜奥穂〜蝶ヶ岳
2日目
 
 
岳沢幕営地 6:45 奥穂頂上 12:24-13:00
前穂分岐点 9:45 穂高岳山荘 14:30-14:50
前穂頂上 10:07-10:35 涸沢キャンプ場 16:25-16:30
前穂分岐点 10:50-11:30 本谷 17:35-17:55
最低コル 11:53 横尾キャンプ場 18:42
 
 
 4時起床、6時発の予定が、だいぶ遅れて出発。雲一つなくよく晴れ渡っている。気温は低く、涼しい。40〜50分歩いて、10分休むペースで登る。重太郎新道は、登りとしては、きつい方だ。岩場が何ヶ所もあるし、鎖場もある。梯子のかかっているところも一ヶ所ある。歩き始めて30分もたたないうちにブレーキがかかる。岡田ネエチャンだ。1人だけ、口でハァハァ息をし、4点確保で登っている。休むと軽口をたたくが、歩き始めると、途端にダメだ。
 前穂頂上は、例年に比べると、人が少ない。東壁を登っている人も少ないようだ。
 分岐点に戻って、昼食をとり、出発。少ないとはいっても、かなりのすれ違いがある。所々のコルから涸沢を見ると、テントの数はやはり少ないが、残雪は多い。五六のコル、三四のコルへの雪渓は、ほとんど上まで迫っている。そこを快適に下るグリセード姿が見える。前穂の肩から下りてくる人も見える。
 奥穂頂上では大変だった。ヒーヒー、ノタノタ登ってきたのが、ザックを置くと人をおしのけて頂上に立ち、「上越こぶし山の会、バンザイ!」ときたものだ。しょうしいたて、しょうしいたて。赤面して横を向いてしまった。一番ノタノタしていたのが、一番大声を出していた。衆目は、その一番ノロノロを見ていたのだから、なおのことハズカシイ。彼らには、そういう感覚はないのか。
 ペースが遅いので、「涸沢泊りにしようか」と、大島君と話す。このままでは、7時過ぎにしか着かないだろう。
 奥穂の小屋前でひと休みし、ザイテンを下る。ザイテン下部で、近道をしようと左手のガラ場にはいってみたが、浮石が多く、かえってめんどう。そこで、再度稜線に戻ろうとしたが、これが大変。きびしい登攀(?)を強いられる。おかげで15分ほどのロス。ザイテンの横には、真高なりの残雪がある。トラバースの終わりから、約200m残雪上を下る。快適。
 涸沢テント村は、夕食の真っ最中だ。その中をノロノロと通り、横尾へ向かう。夕闇が迫りはじめ、もう下る人はほとんどいない。それでも登ってくる人は、まだいる。一番最後を歩いていたが、いい加減にゴウを煮やして、マイペースで本谷橋まで下りる。大島君は、トップでやはり同じような気持ちだったようだ。本谷橋へは、10分ほど遅れてきた。
 ここで、男3人が先に行き、テントを張ることにする。樹林帯にはいるともう暗い。
 横尾の橋のたもとにテントサイトを見つける。まず、ビールを購入し、乾杯。それからテントを張り、夕食の用意をはじめる。
 12時間のアルバイトは、長かった。
 
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