今日は、チトレからゴラパニへ上がるだけである。案内書には80分とあるらしい。サーダーも、「お昼ご飯はゴラパニです」と言っていた。
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明け方前、トイレに起きた時、満天の星空だった。5時半頃、「ダウラギリが赤くなるぞ」という松尾氏の声で目が覚める。早速、カメラを持って、外にでてみた。北の空にダウラギリの主峰が鎮座していた。Autoでは暗くて撮れないので、いろいろ設定を変えて撮ってみる。Tvモードで撮るのが良いことが分かった。6時5分頃、ダウラギリ主峰の頂上が赤く染まり始めた。それがみるみる下の方まで染まっていき、しばらくしてツクチェの頂上が、そしてさらにダウラギリの最西峰が赤くなりだした。それに合わせて峰峰の下の方に雲がたなびきだした。すっかり明けた時には、雲もそれなりに多くなっていた。まだ完全に天候が回復している訳ではないようだ。
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朝食が終わって歩きだし、少し上に登ると山の見え方が変わってくる。ロッジで見ていた時よりも高く見えるのだ。
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シャクナゲ=ラリーグラスの大木の林になる。これが咲く頃はきっと見事だろうと思う。傾斜はきつくはないが、ずっと登りだ。
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1時間も登ったところで何軒かの家があり休む。シェルパに「ここは何ていう所か」と聞くと、家主に聞いてきて、「下のゴラパニです」という。「Lower
Ghorepani だね」というと、笑っていた。そこからわずか15分ほどで、ゴラパニに着いてしまった。まだ9時半を少し過ぎただけである。
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まだ、キッチン隊も準備ができていない。ロバ隊は到着していない。それでも見るとダッフルバッグがあるので、探すと私のものがあった。天気が良いので、開けて洗濯物を取り出し、洗濯することにした。ポーターなどもいっせいに洗濯している。そこに仲間入りする。石鹸を借りて、シャツ、パンツ、タオル、靴下など貯まっていたものを、次から次へと持ってきては洗って干した。
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誰かが「電話してきた」というので、私も電話しに行く。11時なので、日本では14時だから定子も帰ってきているだろう。繋がって「杉本さんですか、私も杉本です」というと、電話にでた定子は、びっくりしていた。こちらの状況を一方的に話す。「みんな元気だ、今、ゴラパニから電話している」と。1分150Rsで450Rs支払った。2分を少し回っただけだったので、もう少し話せば良かったと思った。
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昼ご飯は、ネパールそばだった。ネギとショウガ、きざみ海苔がついてきた。それにご飯。そばをお代わりしたら、山ほど盛られて閉口した。
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ゴラパニの街を見てまわる。ちゃんとした店の前に露天が店開きしている。「見るだけよ」といって、ひやかす。相手も心得ている。ジョモソムなどよりも高いようだ。
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3時のお茶が終わって、再度街にでてみる。あるバッティの前に来ると中にサーダーが居て「先生、こちらへ」という。入ると友達と一杯やっているところ。同じ地方の出身で、ガイドをしているとのこと。「ルクラの下の方で、日本人が学校を建てているのを知らないか」と聞くと、「名前は知らないが、そういう人はいる」ということだった。
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戻ってきてトイレに入っている時、「雨ですよ」との声。残りの洗濯物を取り入れるのがやっとというスピードで夕立が降ってきた。かなり激しく、なかなかやまない。
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