寒冷前線が南下して太平洋岸に停滞してしまった。そのため、全国的に雨になっている。松本を過ぎるあたりから雨足が強くなり、一瞬「いやだな」と思うが、「ここまで来たんだから」というのと「大降りにはならないだろう」との予想に押されて、美濃戸に着いた。
美濃戸口は人影もまばらだったが、美濃戸までの間には結構歩いていたし、美濃戸の駐車場にも何組もの人たちが準備をしていた。
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今日の予定は、行者小屋から赤岳に登り、赤岳頂上山荘までである。南沢を登るのだが、雨具のズボンだけ履いて、傘を差して行くことにする。雨だが結構蒸し暑いのである。
先日購入したザックの初使いである。バンドの調節などがイマイチで、背中にしっくりしない。休むたびにあちこち調整する。
南沢は、北沢に比べると「整備されていない」という感じである。あまり整備しすぎても困るが。登り始めてすぐ、軽装の女性が一人降りてきた。どうもこういう感覚が分からない。登るに従い、何組もの下山者とすれ違う。川原が少し開けた感じになってくると行者小屋はもうすぐそこである。
行者小屋で雨宿りをしながら、昼食とする。声の大きいのがいて、元気に自慢話をしている。そうこうしているうちに、子どもを含む十数人の団体が上がってきた。行者小屋泊まりのようだ。
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文三郎道を登るのは実に久しぶりだ。1980年代の冬に来ていた時も、下ることはあっても登った記憶は残っていない。少し風が出てきたので、合羽の上も着る。阿弥陀への分岐を過ぎてしばらくすると、階段登りになる。どうもこの階段というのは性に合わない。本来人はみな歩幅が違うはずだが、階段はそれを一定に強制する。「自然保護・環境保護」が名目だと思うが、逆に環境を壊している面もあるのではないか。阿弥陀〜中山からの道と合流するまで、一人も遭わなかった。
頂上直下で男女二人に遭う。権現岳の方から上がってきたらしい。何も見えない赤岳頂上を踏んで、頂上山荘に入る。
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入口におばさんたちがたむろしていた。ザックを下ろし、脱いだ合羽類はハンガーにかけて吊るす。汗もかかずに来たので、乾かすのは合羽だけである。
靴を脱いでいると、父親に連れられた小さな男の子が入ってきた。県界尾根を登って来たのだそうだ。あとで聞くと「4年生」だという。
今日の泊まりは、福岡から来たという4人の男性を含む13人のおばさんたち、外国人男性とその連れ、権現岳を越えてきた男女、子連れの男性、私を含めて20人だそうだ。受付の男性に「これじゃあ大変でしょ」というと「ずっと、こんなです」と笑っていた。
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ビールを飲んでくつろぐ。窓の外は真っ白で何も見えない。
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5時半の夕食を済ませ、少し休む。明かりが消えた8時、赤岳鉱泉へ電話する。ディ・ビーさんを呼んでもらう。驚いた様子だった。明日の午前中に立ち寄ることを伝える。「ボッカに出るかもしれないが待っていてほしい」という。
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夜になって風が強まったようだ。
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