朝5時半の朝食を待ちかねたように、13人組がざわつきだした。そして朝食を摂るとそそくさと発って行った。阿弥陀岳に登って行者小屋から南沢を下るという。静かになった。
親子は、硫黄岳から天狗岳に登って渋の湯に下るという。「途中で追い越されますから」といって出て行った。私の後に残ったのは、外人とその連れだけだった。
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下り始めてすぐ、例の親子に追いついてしまった。父親がいろいろ教えながら降りていて、子どももそれによくついている。そんな姿を見て、かつて自分でも子どもたちを連れて歩いていた頃を思い出していた。機能の小屋で、子どもは「山は好きです」といっていたが、父親は「親のエゴですかね」と話していた。わが家の場合もそういう面が多分にあったのではないかと思った。
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日の岳のルンゼを登っていると上の方で声がした。若い男女4人が右往左往していた。
「行者小屋への道は、こちらでいいですか」
「いくつも道があるけど」
「迷ってしまったみたいで」
「どこから来て、どのルートを行くつもり」
「昨日展望荘に泊まって、地蔵尾根を下る予定です」
「地蔵尾根は、展望荘からすぐ左に下りないと。来過ぎだね」
「戻らないとだめですか?」
「硫黄から赤岳鉱泉へおりて行者へ行けるけど」
「アッ、行者から赤岳鉱泉へ行くつもりでした」
「ここまで来たんなら、硫黄を回ってもそんなに変わらないよ」
「行けますか」
「一緒に行くかい」
「お願いします」
ということで、この4人を連れて行くことにした。東京に住んでいるという。学生のようだが、ちょっと「無謀登山」のように感じた。山も「2回目」などというメンバーもいる。「遭難させず、無事下ろさないと」という気持ちになってしまった。まあ、楽しく下ることができたのではあるが。
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横岳の稜線は、風が強い。雨ではなく、霧が濃い。下が見えないので、彼らにはそれが幸いしたようだ。岩場やはしご、鎖、階段など、「スリルがある」などといって楽しんでいたようだ。
硫黄岳山荘で大休止。若干の腹ごしらえをする。ここからはもう危ないところはないが、この霧ではルートを見失いかねないので、さらに引き連れていくことにする。
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硫黄へのダラダラ坂を登っていくと、夫婦が降りてきた。久しぶりの人影である。なぜか、ホッとする。ここは横岳以上に風が強い。大きなケルンがいくつも積まれているが、あの4人はそんなものにも感動している。
赤岩の頭までくると、風も弱まる。そして道は樹林帯へと下っていく。
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赤岳鉱泉の受付で、「ディ・ビーさんはいますか」と聞く。「今、ボッカに行ってます。すぐ戻ります」というので、少し早い昼食を摂りながら待つことにする。
12時を回ると「おじさん、お世話になりました。ありがとうございました」といって4人は下っていった。
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ほとんど入れ違いにディ・ビーさんたちが戻ってきた。1年ぶりの再会である。彼は、一昨年の信州大学創立60周年記念アンナプルナ一周トレッキングの際のサーダーで、隊員に良く尽くしてくれた。
昨年ここで会った時の話では、「来年からはネパールでの仕事が忙しくなるので、今年が最後です」ということだったが、7月に赤岳鉱泉に立ち寄った河原氏が、「ディ・ビーさんが来ている」との情報を寄せてくれた。それで会いに来たというわけでもある。
ディ・ビーさんは、数年前から夏のシーズンオフ(ネパールトレッキングの)に赤岳鉱泉へ「出稼ぎ」に来ている。最初は一人だったようだが、3年前から二人になり、昨年からは4人で来ている。その古参のアリ氏を紹介してくれた。ディ・ビーさんと同じようにおとなしい性格のようである。アリ氏と他の二人は来年も来るそうである。
たくさん話したいことはあるが、彼らは「勤務中」ということもあり、「今度はネパールで」と再会を約して別れた。
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柳川北沢は、南沢に比べよく整備されている。ディ・ビーさんたちがボッカで荷揚げするからだろうか。この下りでも全く軽装の女性が一人、登っていった。
美濃戸の駐車場には、これから入山するいくつかのパーティが準備をしていた。雨具を脱ぎ、村営の温泉、もみの湯へと向かう。
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やはり登山の後は温泉である。汗を流し、ゆっくりとくつろぐ。ここで生ビールといきたいところだが、グッと我慢する。
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塩尻のあたりまで降っていた雨も松本に入る頃にはやんだ。そして無事高田に帰着した。
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