「何回くらい登りましたか?」と聞かれて考えてしまった。鹿島槍には、学生時代に西俣で合宿して登ったのが最初だが、卒業して数年後から地域の山岳会で、5月連休に何年も通っていろんなルートから登っている。しかし柏原新道となると、40年ほど前に五龍岳まで縦走したことと、20年ほど前に家族で針の木岳から縦走してきて下ったことしか思い出せないのだ。この二回だけのように思う。そうしてみると今回三回目ということになる。
そうした過去の記憶と大きく違っていたのは、あちこちに道標が付けられていたことである。
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登山口に近い駐車場はすでにいっぱいだった。「困ったな」と思ったが、右手の川原寄りの駐車場がガラガラ空いていた。登山口まで歩いて5分ほどだった。
「無風」の中での登りとなった。これには参った。汗が流れるように吹き出してきた。少しでも風が吹いてくれれば、休まるのだが。
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靴底が剥がれて困っている夫婦がいた。テープで応急修理を施す。これで上まで行くのだろうか。戻った方が良いように思ったが、それは本人たちに任せるしかない。
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手書きで「八ツ見ベンチ」という看板があった。この「ツ」がどうみても「シ」にしか見えない。柏原新道はいつまでも扇沢の駐車場が見えている。上から降りてくる人がチラホラ。種池山荘からのようだ。
きつい登りも「水平道」の看板とともに緩やかな登りに変わる。「アザミ沢」という小さい沢を渡る。しばらくして「難所」といわれるガレ場だ。確かに雪が残っている時はイヤだろう。
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もうすぐ種池山荘というところで、雨がポツポツ当たり出す。山荘の前にでると20人ほどの人たちがいた。「中で休んでも良いか」と聞くと「良いですよ」というので、「自炊部屋」と書かれた土間のテーブルで昼食とする。いつの間にか、外は雨になっていた。
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雨が小止みになったのを見て出発したのだが、途中でまた降り出す。爺ヶ岳南峰への登りはダラダラの緩やかな登りだ。「帰りは登らないから」と中峰にも登る。北峰からの下りで、雷鳥の親子が出てきた。ヒナが道に沿ってドンドン行くものだから、母鳥は心配で仕方がない様子。ハイマツに消えたヒナがうまく母鳥と遭遇したようなので、安心して先を急ぐ。
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ガスの中に冷池山荘が見え隠れし、右手から赤岩尾根ルートが合流する。山荘は「良くもあんな所に建っているね」という感じに見えるが、実際には小屋の前に結構な広場があるのだ。
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宿泊の手続きをし、荷物を部屋に入れる。すぐ隣が「談話室」になっていて、その一角で生ビールを売っていた。談話室にスペースがないので、グラスを持って外の広場へ行き、夕食までの時間を過ごす。
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その夕食、お世辞にも「良かった」とはいえないものだった。
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