1973年12月07日
妙高山冬山訓練
(1日目)
4人
 
高田 7:07 第4リフト上 11:40-12:10
妙高高原 8:15-8:17 13:30-13:45
池の平 8:40-9:00 川原 15:20
第1リフト下 9:30 大谷ヒュッテ 16:55
第1リフト上 9:45    
 
 久しぶりに汽車で出発。だが高田駅にはまだ誰も来ていなかった。7時ちょうど頃に古木、木島両氏が到着。さらに大島君がバスで行ってきた。
 妙高高原駅に着くとバスはすでに発車の準備をして待っていた。平日の為かまだスキー客も少ない。
 池の平の終点で下車。準備を整えて出発。リフトは全くだめかと思いつつ、第一リフト下まで来ると動いているではないか。発券所のおばさんに聞いたら「動いているのは第一リフトだけ」とのこと。それにしても良かった。しかしそう思ったのもつかの間、リフトに乗ってからが大変。荷物は重いし、風は強く冷たい。この厳しい試練にやっとのことで耐え抜き、リフトを降りた。たったの15分がなんと長く感じたことか。
 これから長いラッセルが始まる雪は膝上10cmくらい。スキー場の真っ只中に一本の踏み跡が走る。それは自然に挑む登山者の生の証拠だ。吹雪は一向に止みそうもない。むしろ雪は多くなっている。
 第4リフトから上はもう本当の山だ。長野工業の赤旗が残っている。トレースはない。先週の日曜日あたりに登ったのか。雪の量も多くなりザックを降ろしてラッセルだ。それでも腰の辺りまである。ザックを取りに戻ると、雪で真っ白だ。
 やっと「要」に出た。案内図と同じ高さぐらいの雪だ約2mか。
 ここからは斜面を切り開いた道だ。雪量が多く、胸まである。上部から時々雪崩がある。だが小さいのでさほど危険はない。
 ふと後ろを振り返ると数人の男たちがやってくるではないか。それも我々が苦労に苦労を重ねて作ってきたトレースの上を楽々と行ってくるではないか。頭にくること。
 4人集まったところで大休止。追い越させた後は、彼らにラッセルをしてもらわねば。苦労は共に分かち合うところに良さがある。
 川原までに時間2時30分もの時間がかかった。彼らのラッセルは、大変遅いのだ。我々の約2/3のスピードか。砂防工事の人だ。
 川原から再びラッセルが始まる。今度は斜面も急だ。150mくらいやって、ザックを取りに戻った。追い付くと、古木くんに変わった木島さんが「小屋が見えた」と言っているあと50mくらいか。
 もう辺りは暗くなりかかり、雪面の凹凸を見分けるのが難しい。最後のひと頑張り、やっとヒュッテに着いた。もう暗いので今日はテントを張らず、小屋に泊まる事にした。食事をし、7時半頃寝た。
高田〜妙高高原 140 第一リフト 90
妙高高原〜池の平
(荷物賃含)
75    
こぶし山の会機関誌「こぶし」第3号の記事
 
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