1973年12月09日
妙高山冬山訓練
(3日目)
 
起床 5:00 15:50
大谷ヒュッテ 7:30 第4リフト上 16:25
光善寺池 8:40 第3リフト下 16:48
鎖場付近 10:30 池の平 17:10-17:55
妙高山 11:40-13:05 妙高高原駅 18:10-18:42
大谷ヒュッテ着 14:10 高田駅 19:
大谷ヒュッテ発 15:25    
 
 冬山で暑くて眠れなかったのは初めてだ。小屋から借りてきたマットレスが、下からの冷気を遮り、暖かかったのだろう。
 5時起床の予定が少し遅れ、その上、隣のテントで食事ができるまでシュラフの中に潜り込んでいた。
 食後、出発まで時間がかかり過ぎる。初めてだから仕方がない点もあるが、それにしても遅い。
 雪は止んだが、風が強く、ガスがかかっている。昨日のトレースは案の定消えてしまっている。
 長野山岳会の8名が先に出発したが、夏道を行こうとしているので、方向を指示。初め、後についていたがすぐに追い抜いてしまった。光善寺池までは、人数が多いため昨日の半分の時間で着いた。18人のラッセルは人数が多すぎる。トップがラッセルで苦しんでいても、後はそれが見えず、また落なため、口笛や歌が出てしまうのだ。10人ぐらいがちょうどか。
 鎖場付近の積雪はすごかった。斜面のせいもあるが、目の高さ以上だ。小生はここを20mぐらい行ったが田中くんは5mぐらいしかやれなかった。それほどなのだ。しかしそこを通り越すと、あとは岩陵だ。ワカンのまま頂上へ出た。日本岩付近で昼食。
 下りは、岩陵部アイゼンを付けて降りた。感覚を身につけて欲しいものだ。あの苦労した鎖場付近のシリセードの気持ちの良かったこと。斜面が急なため、素晴らしいスピードだ。
 ヒュッテまではあっという間に着いた。撤収。山崎君と木島氏の荷が重かったか。
 下山。トレースがハッキリしているので早い。池の平はもう暗かった。十五夜の月が米山の上に上がった。全員無事ご苦労様。
 
【気づいたこと】
1.ラッセルについて
 7日から入山したものは、人数が少なく雪が多かったため、良いトレーニングになった。
 8日に入山したものは長野山岳会と一緒となったため、2〜3度しか回ってこなかったため不足。
2.ワカンをつけた歩行はもっとケリを聴かせること。足を乗せるだけではなくて蹴り込むこと。
3.事前に装備の点検をしておくこと。例えば、田中君のアイゼン。オーバーシューズに合わせず靴に合わせてあった。ワカンも破損。
4.ピッケルの持ち方など、下でもできることは下で練習すること。
5.冬の行動食の研究が必要。
6.パッキングの仕方について。必要なものはすぐ出るところに入れておくこと。
こぶし山の会機関誌「こぶし」第3号の記事
 
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