1974年01月01日
唐松・五龍岳
(3日目)
 
唐松小屋 9:00 五龍小屋 13:45
大黒岳鞍部 10:00 テント設営 15:45
白岳前衛峰 11:30    
 
 短波放送の気象通報によれば、3時の輪島の上空3000mでは、西の風が30m、気温−16℃とのこと。唐松小屋付近もその例外ではなく、強風が吹き荒れている。行動するかどうか様子を見ることにした。
 他パーティーは、「沈」を決めたところも多いようだ。それでもいくつかのパーティーが、出て行った。コースとそれぞれの疲労が少ないことから、出発することにした。
 所々に鎖のついた岩陵を下る。風が強いため、荷が振られる。危険なので一歩一歩確実に降る。岩陵を過ぎ、夏ならばザラザラのガラ場であろうところを下りきるまでには、1時間もかかった。
 鞍部に下りると、ここは雪がかなり付いている。ようやく大黒岳の登りだ。雪で夏道がわからない。正面の急斜面を登ったところに、夏道はあった。風で、雪は飛ばされ、ほとんどない。大黒岳は、明確なピークとしては地図に載っていない。
 道は、富山県側にトラバース気味についている。石に大黒岳と書かれていた。案内石だろう。すぐに、案内のケルンが立っている。左は危険、右の道を行くようにと。下に降ったが、道はない。雪が多く、トレースが消えているのだ。ケルンから約10m下に、尾根に沿って、樹林の中を左にうっすらとトレースがあった。葉を落としたカラ松が、雪の中に立っている。雪の積もったハイマツの中を登り始める。
 上の方に赤いものが見える。山崎氏は「小屋だ」と言って急いだ。しかしそれは、夏道の赤茶けた土の色だった。
 再び夏道を進むと、道は急に雪が多くなった。トップの桑原氏の進む先が、見ると、雪庇状になっているではないか。急いで声をかけ、止める。下の方にトレースらしきものがあるので、そちらをピッケルで刺すと、桑原、木島両氏が、降り始めた。全員が降り始めて、よく見るとなんと危険なところだろう。斜面に木が一本も生えていないのだ。すなわち雪崩の恐れがあるところだ。
 急いで降り、追いついたところ、前方のトレースから声が聞こえ、人が顔を見せたではないか。彼らも道を探して、ここまで降りてきたのだそうだ。彼らパーティーの後について登り始めた。雪庇に見えたのは、実は白岳から北西に突き出した尾根だったのだ。夏道は、最初桑原氏が進もうとした所を、直進すれば良かったのだ。やっとのことで(とは言っても他のパーティーの力で)夏道にたどり着いた。
 白岳の頂上には登らず、回り込んだ所に五竜山荘があった。すでに、いくつかのテントが張られ、適当なところがない。それでも小屋の一番南の端に斜面を削り、平地を作った。
 予定では五竜岳へ行くことになっていたが、時間がかなりかかりすぎたのと、天候が悪く疲労もあることなので取りやめた。
 
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