1974年01月14日
南八ヶ岳
2日目
 
赤岳鉱泉 7:20 赤岳石室 11:30
行者小屋 7:55 横岳 12:26-12:35
阿弥陀岳 9:20-9:30 硫黄岳石室 13:02-13:15
赤岳 10:45-11:15 テント場 14:45
 
 小屋の下を通って南下するトレースがいくつもあるので、見分けが大変だ。尾根に出るところに、やはり沢道と尾根道がある。急な尾根道を登ると、もう今度は下りだ。数人の男女がたむろしていた。コメツガの林を降り始めると、眼前に阿弥陀岳が朝日に輝いているではないか。そして左方には盟主赤岳が。
 行者小屋を過ぎ、そのまま南へ進むと、道は沢に入る。すぐに中岳−赤岳コルへ向かう道が分かれる。
 道がまた二つに分かれている。一本は沢どうし、他は尾根へ。また尾根道を進む。ところがどうしたことか、これは阿弥陀岳赤岳コルへ行く道ではなく、阿弥陀から北東に伸びている尾根を直接登っているのだった。引き返さずそのまま行くことにした。
 稜線に出ると、西風が強く叩きつけてくる。背の低いダケカンバの間を縫って、急斜面を登っていく。稜線に出るところで5人パーティーを追い抜いたが、岩陵になるところで、今度は3人パーティーに追いついた。岩の左手の雪面を登るのに苦労していた。アイゼンの先だけしか使っていないのだ。横から岩に取りつき直接登った。小倉氏は相当苦労したようだ。彼ら3人は、ザイルを出していた。ここを抜けると、もう頂上はすぐそこだ。コルからの道と合流して頂上へ。
 頂上はガスで視界0m。風で小倉氏のオーバー手袋が飛ばされた。慌てて追いかけて拾ってきた。谷にでもを飛ばされたら大変だった。追い抜いてきたパーティーはまだ上がってこない。
 コルまでの下りはかなり急だ。一気に下る。西風は相変わらず強い。影に入った時の、あのホッとした気持ち。中岳付近では、時々ガスが切れ、阿弥陀や赤岳が見える。
 赤岳への登りは大変だった。風が強いのだ。ピッケルは横に流されるし、左手は体にぴったりついたままだ。悪戦苦闘の末、やっと頂上にたどり着いた。疲れ切ってしまった感じ。風のないところでしばし休憩。空腹。チョコレートを食べた。するとすぐ横に女性2人が来て座った。岩登りをしてきたらしい。「簡単だった」と言っていた。
 小屋の前を通って、石室へ。時間もあることだし、疲れてもいるし、ブラブラと降りる。後はもう写真を撮りながら、足の向くまま気の向くまま。何箇所か鎖を張ったところがあったが、特別鎖を必要とするようなところではない。
 ゆっくり歩いて、ようやく横岳に着いた。雲が上空に上がり、赤岳と阿弥陀が見えるようになった。
 横岳の下りの鎖場も大したことはない。道はグングン下っていく。振り返ると大同心の頭に人が立っている。きっと大同心の岩場を登ったのだろう。
 やがて硫黄岳石室に着いた。今度はパンを出して食べた。互いに食パン1枚食べただけだった。
 硫黄岳は大きな瓦礫の山みたいなものだ。左手は大きく切れ落ちている。その上に大きなケルンが転々としている。ちょうど人間が立っているように。山頂では寄らずに降る。
 風邪のためにか体の調子が良くない。早くテントに戻りたい一心だ。
 夏沢峠への分岐には立て札が立っている。そこから200mもいったところが赤岩の頭だ。ここから下るのだが、初め尾根通し降ってしまった。これは間違い。鉱泉の一つ手前の沢に入ってしまう。頭に戻ってみると、急斜面シリセードらしいトレースがある。これを下る。シリセードではスピードがつきすぎる。
 すぐに樹林帯だ。大きく、右に左に振れる。夏道を下る。夏登るにはきっと嫌な道だろう。
 労山で「おちこち山の会」なんて変な名前のテントが3張りあった。最近はどこでも労山の仲間がいる。
 夜は風もおさまり、素晴らしい星空になった。東の空にオリオンが、天上にはカシオペアと大熊小熊座、それにアンドロメダ。冬の天の川も壮大な流れだ。この自然が破壊されず、我々の子孫にも同じ形で受け継がれるようにしなければ。
 
 6時30分就寝。
 
ページトップへ 01月13日 01月14日 01月15日 1974年の記録