3月22日 雪 |
中社より雪となり、ラッセルがひざ≠ワであり、かなり疲れた。牧場にテントを設営する。夕方よりミゾレとなる。 |
※ 以下は、SUAC1966年春山報告書に掲載されたものである。 |
計画から準備まで CL 岡村紀雄 |
我が春山の舞台として考えていたのは、剣であったが、南ア縦走に変更後、最終的に戸隠と決定した。 |
戸隠に決定した理由は、部員の入山できる日がマチマチであって前日入山できるものが2名のみであるので、BCまでのアプローチが短いことが必要であるので、剣、南アともにオミットせざるを得なかった。 |
この点戸隠は最適であって、ルート自体としても、未登のダイレクト尾根は、我々の力をためすには絶好の場所であると考えた。 |
合宿の形態としては、前半審尋を主体とした高妻山までの縦走、後半本院ダイレクト尾根であった。 |