1966年04月01日
信州大学上田山岳部
春山合宿−本院ダイレクトアタック隊
2人
 
ビバーク地点      
    BC  
 
19960401 アタック隊 ルート図
 
4月1日 小雪 のち 風速強まる
 Attack隊:岡村、佐々木
 寒さに手足がしびれる。時がたつのが、何故遅いのだ!BCの轟を呼んでは苦痛をぶちまける。徹夜で応ずる轟は災難だ。だが、我々にとってこれがせめてもの慰みなのだ。待ち遠しかった夜明けと共に、全身ガタガタふるえ上がる。外では小雪が降り続いている。BCとの交信では、午後から多少快方に向かう見込みだ。心配せずゆっくりと出発せよとのこと。
 8:15発。本院のピークまで、西側の大雪渓をトラバースし、60度以上あろう木登りは苦しい。木登り≠ニ称するのは、木の枝や根にしがみついて、腕力によって登るという意味である。雪の下は岩陵である。従って木がなければ、そして雪がなければ、到底登り得なかったであろう。
 今、我々が選んでいるルートは本当に正しいのであろうか。絶えずそんな不安が付きまとう。急斜面に立てば雪面は頭上にくる。かろうじて本院のピーク直下にまわりこんだ時は、すでに12:00であった。はじめ2時間もあれば○○と判断した我々は、まことに軽率であった訳である。
 前夜の雨に湿気をおびた雪の上部は、ナダレのベストコンディションであり、、ラッセルが気の遠くなるほど苦しい。しかも、安全なルートファインディングであることを考えておかねばならなかった。
 さて、キレットの東側を慎重にトラバース。落ちたらトップは半死、気絶は間違いなしである。早く西岳へと気が焦る。疲れていても2分と休むことが許されない。今考えてみると、私の最も恐く最も技術を要した登りは、このキレットから西岳までの登りであったと思う。50度から60度近く感ずる急傾斜。あまりの急稜に、ナダレによったのか木さえない。他よりはピッケルのみ。正直に云って、この時ばかりは決死の覚悟で○○○○スリップしそこない、もうだめかと思うこと2回。たった30mの登りに40分近くも費やしたであろうか。
 ようやく西岳手法に出たと思い、17:00の交信をする。だが山は偉大だ。手法は未だ2つ先のピークにありとの森氏の声に、ガックリと相成る。ガスっていて先が見えない。稜線の風は、予期していたものとはまるで違う。いや、実際体で感じなければ判らないのだ。先ほどまでズブヌレの衣類が、今度はバリバリに凍り、歩き方がロボットのごとくぎこちない。ヘマすると股ズレを起こして晴れ上がる。
 強風のため、一度に疲労がやって来た。もうすでに体力の限界は超えている。大木の陰にうずくまり、18:00の交信を待つ。未だ西岳は先にある。
「もうダメだ!是非、迎えに来てくれ!」
「いや、そこでビバーク地を探せ!」
「何云ってるんだ!俺たち、疲労投資寸前なんだぞ!ばかやろう!」
「弱ったなあー、ウーン、弱った」
「今、どこにいるんだ!ここまで来られんのか!」
「P1直下300m地点にいるんだが、眼前の登りがヤバクて、1年生とではとても不可能だ・・・」
・・・殺気だった交信。およそ20分。
 われわれも最後の力を振り絞って再出発することにした。腹が減り過ぎて、何も口に入らない。あの時2袋づつあった粉末ジュースの味は、生涯忘れられぬものとなろう。
 時間縮小のため、コンティニュアスは中止。ザイルは思い切つてザックへ。気休めにピッケルで確保したところで、トップが落ちたら二人ともダメだ。無事に戻りたい気持ちに変わりがないのだから、ジャマなザイルなどない方がよかんべえといった訳である。
 P1下降地点に着いた頃には、すでに一面闇に包まれていた。トランシーバーを解放しコールしあい、下降口確認に30分以上かかっていた。
 ザイルいっぱいの地点にシラカバを見つけ、次の下降者を待つ。「大丈夫だから飛び降りてみい。どっかで絶対止まる。」といったのをまともに受け入れたのか、降りてくると思った次の瞬間、黒いものがサーーッと雪面を流れ、10m位で停止したかに見えた。黒い流れ星≠ゥと思った。後で聞いたら、「差し込んだピッケルの回りの雪がいけないのだ」と云った。俺が「停止する」といった言葉の立証である。
 300mの下降に2時間を費やし、43時間ぶりに仲間と会えた喜び。同時に寒い中ジッとこらえて待機していてくれたSupport隊。TentKeeperの轟への感謝の気持ちでいっぱいになった。
 夜空には再び星が。我々のAttackは、星に送られ、星野出迎えを受けたのであった。Attack成功の喜びもさることながら、未だにあの恐怖心は消え去らない。(佐々木 記)
 
ページトップ            
高妻山往復 3月22日 3月23日 3月24日 3月25日 3月26日  
本院岳P1尾根BC 3月27日     杉本下山 3月26日  
ダイレクト隊 3月28日 3月29日 3月30日 3月31日 4月1日 4月2日下山
サポート隊 3月28日 3月29日 3月30日 3月31日 4月1日 合流 ↑
杉本入山 3月28日 合流 ↑       1966年の記録