1994年08月14日
穂高岳に登ってきました
(3日目)奥穂に登る
 
 
涸沢 8:00 奥穂高岳山荘  
奥穂高岳山荘 10:30 涸沢  
奥穂高岳 45分    
 
 快晴。朝早くから奥穂へ、北穂へとたくさんの人が列を作って登っていく。
 8時、強い日射しの中を奥穂へ向けて登りはじめる。涸沢小屋を経て、ナナカマドの林に入る。岩で作った石畳を登っていく。濃紺のイワギキョウが美しい。オンタデが赤い実をつけ、チングルマも毛を車状にひろげ、風になびかせている。カールを右から左に石畳を踏んで横切り、ザイテングラードの取り付き(2650m)へ。稜線の広場に上がると何人もの人々が休んでいる。
 ザイテングラードは、涸沢カールの中央から穂高岳山荘へ直登する、高度差350m、地図上の距離5OOm程の急傾斜の岩稜である。いつもしんがりから遅れてついてくる妻が、今日は先頭を調子よく登っていく。鎖場があり、はしごを登り、やがて山荘が間近に見えてくる。鐘をたたく音が聞こえる。
 テントを出て2時間半で、山荘前に飛び出る。妻と次女が、鐘をたたいて広場に入っていった。穂高岳山荘の前はたくさんの人でにぎわっていた。
 石畳に設けられた1.5m程の円形の石のテーブルに陣取る。早速、缶ビールとジュースでのどをうるおし、昼食をとる。ここの物価は涸沢と同じ。
 奥穂へ向かう。5m程のはしごが2連、垂直に立っている。そして右へトラバース(斜面の横断)。狭いところで上から下りてくる人たちと擦れ違う。ルンゼ(岩の間の狭い溝)を岩に手をかけながら直登すると、傾斜が緩くなって、核心部の終了である。
 奥徳高岳の頂上もたくさんの人だ。3192mの北岳を追い越そうと、頂上に積み上げられたケルンの上に何人かいて、その中に妻と長女もいた。思い思いに写真を取る。西穂方面から来る人あり。前穂から岳沢へ下るという人もいる。穂高の峰々はみな雲の中だ。45分も頂上で遊ぶ。
 下りは、登り以上に慎重にする。例のはしごで渋滞してしまった。上りと下りの2本のルートが必要なところだ。下からの大部隊を先に登らせる。山は、常に「登り優先」だ。最近このルールをわきまえないものが多い。
 再度、山荘前で休む。相変わらずの人だ。そして、ザイテングラードを下って、涸沢へ。涸沢小屋で飲み物を購入してテントに戻る。
 夕食の準備をしていると、テント場代を集めにきた。大人500円、了供300円。赤い夕焼けになって暮れていった。
 
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